FOTOFARM信州 風景情報バックナンバー
02月05日
風景情報
◇白馬村 遠見尾根 撮影行 2/5◇
朝焼けを待つ白馬三山
朝焼けの白馬三山
02月04日
風景情報
◇白馬村 遠見尾根 撮影行 2/4◇
3日pm6時、充実の一日が終わった。
満天の星。夜目にも雪山の稜線が美しい。
ただ一寸気になるのが、唐松岳と五竜岳の間の鞍部に僅か見えている、黒い海の様な存在。
かといって自分より高い位置に海が見えるはずも無いのだが・・・。
目の錯覚ではない。何度見直しても確かに何かが見える。
それから30分程で空の様子は一変した。
アルプスの稜線が、一斉に薄気味の悪い雲を吐き出し始めたかと思うと、あっという間に
その雲が、空の半分以上をおおってしまった。
どうやら先刻、黒い海に見えた物体の正体は、西から迫っていた、津波の様な雲の頭頂の
一部だったらしい。
pm8時少し前から、小雪交じりで風が出てくる。
そしてpm9時をすぎると風はいよいよ強くなってきた。
遠くで山が吠えている。それが徐々に近付き、そしてグワーッと寄せてくる。
シュラフに潜り眠ろうと試みるが、揺れるテントが気になって、なかなか寝付けない。
風は山をうならせては、幾度も押し寄せて来た。
深夜、異常な風音とテントの揺れに叩き起こされた。
ヘッドランプを点けると、激しくたわんだ後部両サイドのテントフレームが目前に迫っていた。
飛び起きて背中で支える。
背中と頭でテント後部の生地を支え、後部両サイドのフレームは両腕でバックハンドに支えた。
風は時折、テントの左右からも襲って来た。
こちらの防御には両足を使った。
幸い入口方向からの風は無いようだった。
風が弱まったすきに時計を確かめると、間もなくam3時。
テントの生地に凍りついた水蒸気が風に叩かれ、テント内でダイヤモンドダストを見せている。
急いで身支度を整えておかなくては・・・。
再び山が吠え始めた。
不気味な声が近付く中、私は大急ぎでオーバーズボンを履いた。
そしてその風と戦っては、また風の弱まる一瞬を狙って防寒ジャケットを着て、というように
繰り返し、手袋、そしてオーバーグローブなどを徐々に身に着けていった。
ネックレス状の紐を付けたナイフも、首からぶら下げた。
万一テントごと飛ばされた時、脱出用に必要だ。
幸い予備のヘッドランプも手の届く所に見付け、ジャケットのポケットに押し込んだ。
手間のかかる登山靴を履く余裕は無い。
予め羽毛入りのテントシューズを履いていたので、その上にオーバーシューズを履いて良しとした。
am4時を過ぎると風は狂気を帯びてきた。
弱まる瞬間など一つも無い。
幌を掛けたレーシングカーで、フルスロットルで飛ばしているようだ。
後部両サイドのフレームはカジキマグロを掛けたロッドの様にたわんで激しく振動し、今にも
持って行かれてしまいそうだ。
布2枚越しに、背中や後頭部に雪の塊がバシバシとぶつかり、積み上がってくる。
風の攻撃が左に移った。
まるでスコップですくい投げてくるように、雪がドサンドサンとぶつかり、テント生地がたわんでくる。
左足で押すと、ずっしりと積みあがっているのが分かる。
変わって、背中の後ろで積み上がっていたはずの雪は、すっかり無くなっている。
と思うと、風向きは変わり、再び背中に雪がぶつかり積みあがり、のしかかって来る。
そんな事が幾度繰り返されたか、腹筋が限界を超えた。
極度の緊張感の中でも、やはり限界はある。
「落ち着け。落ち着いて状況を観察しろ。」
自分に言い聞かせつつ、背中や腕の力を少し緩めてみた。
たわんでくるテント生地やフレームの動きを観察してみると、このテントの設計者の考えが
見えてきた。
そうか・・・このテントは相当たわんでも良いのか・・・。
いや、むしろたわんだ時こそ、このテントの真かが発揮されるのか・・・。
ヨガの猫のポーズの様に、身を低くたわませて風を逃がしているんだ・・・。
もしかして私は今まで、このテントの耐風システムの邪魔をしていたのかも知れない・・・。
そうだ、釣りと同じだよ・・・。細いラインで大物を釣る時のロッドの原理と同じなんだ・・・。
ロッドの先やラインを掴んだりしたら、折れるか切れてしまう・・・。
ロッドは一杯に使ってやらなきゃ駄目じゃないか・・・。
私は思い切って体勢を変え、仰向けになった。
主風向のアンカーへの負担を少しでも減らすため、後部両サイドのコーナーを左右の足先で
押さえた。
膝は立て、背中と頭の下にはシュラフやザックを重ねて、支えにした。
「アンカーは全て深く、がっちりと埋設してある・・・。
心残りなのは防風ブロックの積み方が甘かったことだが、今更どうすることも出来ない。
後はこのテントを信頼して、自分はサポートに回ろう。」
一旦腹をくくると、私はこの貴重な恐怖の体験を、出来るだけ鮮明に覚えていたくなり、胸に掛け
ているICレコーダーの録音スイッチを入れた。
テントが主、私が従の関係は正解だった。
風が狂気の圧力で畳み掛けてきた時と、左右から来た時だけ、私が両腕を使ってサポートした。
突然顔の上に雪の塊が降ってきた。
何事かと見上げると、換気口がテント内に突き出し、縛っておいたはずの口紐が解かれて、
そこから雪がテント内に噴出している。
雪は胸の上やら荷物の上やら、瞬く間に白く積もり始める。
「クソッ。」
私は自分でも驚くほどの素早さで、換気口を予備の張り綱で縛った。
手先と足先が寒さでしびれてきた。
テルモスを引き寄せ、仰向けのまま直接口をつけて熱い湯を飲む。
火傷するほど熱いが、キャップに移してすする余裕など無い。
一口チーズとソイジョイの包みを歯と口ではがし、アーモンドも一緒にオールインワンで頬張る。
適当に噛み砕いたところで、熱湯で胃袋に流し込む。
これを数回繰り返し、手袋にホッカイロを入れると幾分楽になった。
夜明けになれば少しはましになるのでは。
その期待は見事に外れ、嵐が後退を始めたのはam9時を過ぎてからだった。
延々6時間に及ぶ狂気の攻撃に、私は身も心もヘロヘロだったが、
「ハーッ。」
気合を一発入れて表に飛び出した。
風のせいでテント周りの雪原の様子が、すっかり様変わりしている。
掘り下げたはずの段差はほとんど無くなり、ピッケルと並べて、雪に丈の半分程も突き刺して
おいたスノーシューが消えている。
どこかに飛ばされてしまったらしく、後には風の置き土産の、見事なシュカブラだけが残っていた。
テントに、「後は頑張れ」と言い残し、カメラ機材を担いで直ぐ近くの「地蔵の頭」に登る。
後退を始めた嵐雲の間から、白馬の山や尾根が僅かに見えかかっている。
時折やって来る突風やつむじ風を、しゃがんでかわしながら撮影を始める。
am11時半、携帯の電源を入れると直ぐに着信があった。
写真記者の丸山祥司氏だった。
「大丈夫でしたか?。 昨日、低気圧が一つ日本海に入って来て、天気の流れが
変わったんですよ。教えてあげたくて、何度も電話を掛けていたんだけど、通じなくて。
風、凄かったでしょう?。ゆうべはこっちでさえ強風だったから。」
私が携帯の電池不足の事情を説明して詫びると、丸山さんは一旦電話を切り、折り返しで
「富山側の予報も取ってみましたが、この状態なら明日までは間違いなく上天気ですよ。」
と知らせてくれた。
私はここで、もう一泊することにした。
テントに戻り、改めて点検してみた。
幸い9本の張り綱は全て健在で、どれ一つ危ういものは無かった。
外張りは幾分前にずれ、スカートは入口部分を除き、他の3方は全てめくられ丸出し。
乗せておいた雪などかけらも残っていない。
テントの下にも雪が吹き込んでいて、整地し直さないと使える状態ではない。
風が穏やかになったので、外にテントマットを広げ、その上に荷物を全部並べた。
シュラフ、シュラフカバー、サーマレストマット、フリースのジャケット、オーバーグローブなどは、
予備の張り綱で潅木にくくり付け、陽に当てた。
目まいがするほど働いて、大きな雪ブロックを山ほど切り出し、主風向にこれでもかと積んで
頑丈な防風壁を築いた。
もちろん外張りのスカートにも雪ブロックは、ぎっしりと乗せた。
長い付き合いのスノーシューには、捜索隊を出したが、結局発見することは出来なかった。
後から考えると今回の山行きの最も大きな収穫は、撮れた写真でも、美しい風景でもなく、
あの恐怖の6時間だったように思われる。
私はあの6時間の間に、とても貴重な旅をした。
自分自身という、最も不可思議な世界に。
以下のレポートは、写真とキャプションだけで報告させていただきます。
去り行く嵐
まだ暴れ足りないのか。
風魔は惜しそうに、ゆっくりと引き上げてゆく。
雲の中から、八方尾根が見え隠れしている。
去り行く嵐と地蔵の頭の石仏
「地蔵の頭」には、過去この尾根で遭難して亡くなった、大勢のアルピニストたちを弔う石仏や
ケルンがたっている。
今更言える立場ではないが、北アルプス北部を楽しもうとする者は、気象の変化に細心の
注意を払わなくてはならない。
その掟を破る者は、想像を絶する悪魔の洗礼を受ける事になる。
嵐の名残
左の写真・二ノ背髪と小遠見山の稜線から、雪煙とも雲ともつかないものが噴出している。
右の写真・五竜岳が徐々に姿を現し始めた。
我テント
防風ブロックは飛ばされ、外張りは片寄り、スカートは丸出しの我テント。
幸い、9本の張り綱は全て健在だった。
IBSウルトラライトⅡゴアタイプ、これからも宜しくたのむよ。