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水の国 (2)

 「どうしたものでしょうか・・・いずれにしても高くつきそうですね」
 「高くつくのは、まず避けられないでしょう。ただ、金で動く相手なら、どんな頑固者であろ
うと、操る方法はいくらでもありますが、手強いのは金で動かない相手です。あの田んぼ、土蔵
の周り、そしてこの庭・・・この家は今時の農家にしては珍しく、隅々まで住人の血が通ってい
ます。そしてこの居心地のいい縁側に座れば、ここのご夫婦がどんな価値観で暮らしているのか
良く分かります。もう少し早くに自分で確かめておくべきでした。いやな相手が核心部に住んで


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いたものです」
 「それにしても、今回はずいぶん面倒な地区に目を付けられたものですねえ。三郷村や堀金村
のように規制の無いところで、まだ旨みのあるところは、幾らでも残っているじゃないですか。
しかも、この辺りの水郷地帯は穂高町にとって、観光資源としても重要視されている地域ですか
らね。下手につつくと、どんな反対運動が噴き出すか知れないし、リスクを犯してまで手間隙掛
けて工作しても、割に合わないと思うんですがねえ」
 「ワサビ畑や水路を減らすつもりはありませんよ。水辺環境は、この一帯の商品価値を上げる
宝ですからね。開発するのは、この地域の水田と宅地です。ここでの開発は、これまで他でやっ
てきた様な、田んぼを埋め立てて金太郎飴みたいな家を並べるやり方じゃありません。ここの水
郷という環境を活かして、他では出来ない贅沢な生活空間を提供する高級分譲をしたいんですよ」
 「ここが高級住宅地にねえ・・・私みたいな凡人にはピンときませんが」
 「そう、ここの集落の住人だって、ここの土地にそんな価値があるなんて思っている人はいま
せんよ。秋山さん、安曇野のワサビは平地式栽培ですよねえ」
 「・・・平地式栽培ですか・・・うん、ですよねえ」
 「この平地式栽培でワサビ畑をこんなに広々と作れる土地は、全国でも唯一、安曇野だけなん
ですよ」
 「そういうものだったんですか・・・」
 「そのお陰で、地主と買い手の価値観に大きな差が出るんですよ」
 「そうか、同じ農村でも、ここはかなり特殊な立地なんですね」


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 「そう、そういうことです。山際ならともかく、こんな平野の真ん中なのに、美しく、しかも
安全な水辺が沢山あるところなんて他に無いんですよ。この一帯を私の構想で水と緑の公園のよ
うにすれば、資金にゆとりがあって、生活の質を大切にする人たちにとっての、類まれな高級住
宅地が誕生します。場所は安曇野のど真ん中、有名観光名所の近くで、インターや幹線道路にも
近い。しかも降雪は少なく、晴天率は高く、アルプスの眺めも良好。こんな宝石の様な土地を田
圃にしておくなんて、宝の持ち腐れですよ。田ぼじゃ、さんざん手間隙かけて働いても一反当た
り、年間十数万円しか稼ぎ出してくれないでしょ。この宝石の土地がですよ。これは無駄と言う
より罪です。逆にこのまま放っておいて、将来、無計画に虫食い状に宅地化されて、安普請の家
が目立つ様にでもなったら、宝石は永久に土の中だし、安曇野も貴重な観光資源を失うことにな
る。だから今回、私のやろうとしていることは開発にして開発にあらず。むしろ環境や景観の保
全、改善事業ですね。私が今まで安普請の建売や分譲を多くやってきたのは売り易いからですが、
たまには価値のある仕事もしないとね」
 「分かりました。今まで里見さんの狙いが外れたことは無いし、里見さんのお陰で・・・おっ
といけない、この4月からサトミ開発の正社員にしていただいたのに、どうも以前の習慣が抜け
なくて」
 「いいんですよ秋山さん。あなたくらいの年齢になると、身体に刷り込まれているものを置き
換えるのは容易じゃないですから」
 「いじめないでくださいよ。ま、確かに容易じゃないですが・・・」
 「いじめてなんかいませんよ。そんな些細なことに関係なく、秋山さんには、他の誰にも真似


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の出来ない力があるじゃないですか」
 「里見さんには、ずいぶん良い思いをさせていただきましたからね。正直言って恩返しにも、
これから色々とお役に立とうと思っているんですよ、いや本当に」
 「分かっています。私がヘッドハンティングで的を外すと思いますか。農家各戸の内情に一番
詳しくて、その土地を切り取るにしろ、転用するにしろ、あなた以上の情報とノウハウと人脈を
もった逸材は、他にいませんよ。お陰でこれまで、仕入れに事欠いたことは無いし」
 「それも破格の安値で。私の貢献度を忘れないでくださいよ」
 「念には及びません。恩も仇も必ず返すのが私の信条です」
 「すみませんね、部長待遇で迎えていただきながら、つまらないことを言って」
 「他の社員の手前もありますから部長待遇にしましたが、個人的にはビジネスパートナーだと
思っていますからね。今のポジションで実績を作っていただいて、いずれは役員というストーリ
ーにしたいものです」
 「・・・有難うございます。きっとご期待に添えるように頑張りますから」
 と言って秋山は、広い額の汗をハンカチで拭った。
 「・・・簡単に座れない椅子を捨ててまで、私の所に来てくれた秋山さんですから、そろそろ
本当の狙いを知っていただいた方が良いかも知れませんね・・・」
 セグロセキレイに目をくれたまま、里見が静かに言った。
 「本当の狙い・・・何のことですか?」

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