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早苗の蕎麦 (2)

 間もなく二人は近藤の運転する車で等々力の集落にやって来た。
 西の田んぼの前まで来ると数人の男女が田植えをしていた。
 アプローチの左側の田んぼは既に田植えが済み、苗が整然と並んでいる。
 右側の田んぼは、田植機による植え付けは済んでいるものの、田植機で出来なかった端の部分
に四人が散らばって、植え直しをやっていた。車に気付いた四人が会釈をしたので、運転席の近
藤も返した。


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 その田んぼのさらに向こう側の田んぼでは、文吉が小型の田植機を操っている。
 近藤は早苗の誘導で土蔵の脇に車を止めた。
 荷物を持った二人が庭を横切るとニワトリたちが逃げていった。
 水舟の近くには、すでに簡易カマドが据えられ、東屋のテーブルには大鍋も載っていた。
 「コンちゃん、どうぞここに掛けていてちょうだいね」
 近藤に縁側を勧めた早苗は、縁側の隅に荷物を置き、水舟の中に浸けられている数本の瓶から
冷茶を見つけ、二つのグラスに注いだ。
 「冷えているから美味しいわよ」
近藤と並んで腰掛けた早苗は、二人の間に冷茶を置いた。
 近藤は美味そうに咽を鳴らして一気に飲み干した。
 「んー、美味い。こういうのあるといいねえ、なんていうんだっけ?」
 「水舟っていうの」
 「あそこから出ている水は飲める水かい?」
 「ええ、飲めるわよ」
 近藤は、水口の水をグラスに受けて持って来た。
 「この水も美味しいね・・・いいなあ、こんなにいい水がふんだんにあって」
 「ほんとね。私の家はそっちの畑の先にあるんだけど、この家の半分もないような小さな家な
のよ。本当に狭いんだから。来年お店を作る時、少しは住みやすくすると思うけど、その時、水
舟も作ってくれないかなあ」


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 「こっちが西の叔父さんと叔母さんの家なんだね」
 「そう、そしてうちは東側だから東って呼ぶの」
 「この縁側もいいよね。縁側のある家なんて今時珍しいよ」
 「私も縁側大好き。東京に住んでた時も、ここへ来るといつもこの縁側で遊んでいたわ。お茶
はもちろんだけど、お昼もここで食べるって我がまま言って」
 「ここでママゴトしているさっちゃんか・・・今でも似合いそうだな」
 「失礼しちゃうわね。こんな大人の女を前にして」
 「ところでお嬢様、そろそろ鍋を火に掛けておいては如何でしょうか。皆さん今日は忙しそう
だから、上がって来たら、直ぐに食べられるようになっていた方がよろしいのじゃ・・・」
 「そうね、薪も出ているしやっておこうかな」
 二人はカマドに火を入れ、大鍋を載せると水で満たし木蓋をした。
 そこへ五郎の車が入って来て二人の近くに止まった。
 「よおっ、お似合いのカップルでママゴトしてたか。邪魔するぞ」
 五郎は降りると軽口をたたきながらリアのドアを開け、蕎麦道具一式を降ろしてから、土蔵の
裏に車を置きに行った。
 五郎が戻り三人で蕎麦打ちの準備を進めていると、皆んなが引き上げてきた。
 「近藤さん、お店でご迷惑掛けている上に送ってまでいただいて、すいませんねえ。迎えに行
くつもりでいたら、早苗が来なくていいって言うので、つい甘えさせていただいて」
 恵子が礼を言った。


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 「いえ、僕もドライブしたかったから気にしないで下さい。お陰様でこんなにいい時期の安曇
野が見れましたから」
 一同からそれぞれ丁寧な挨拶をされ、近藤はすっかり恐縮してしまった。
 晃が初対面のジーノと近藤を紹介した。
 「光は?」 早苗が聞いた。
 「光は近くの友達のところへ行ってるよ。お昼には必ず戻るように言っておいたから、そろそ
ろ戻ってくるはずだけどねえ」 と、ハルが教えた。
 「どうだい早苗、だいぶ腕を上げたかな」 文吉が聞いた。
 「まあ、見てあげてください。別人になっていますから」 近藤が代わって答えた。
 東屋のテーブルがシナベニヤで簡易の延し台に変わり、別の台の上には木鉢も据えられた。
 早苗も近藤も白衣の上着だけ着て、前掛けをし、早苗は白い三角巾、近藤は青いバンダナをか
ぶった。
 早苗が『粉回し』を始めると、土蔵の裏に車を止めた辰彦が走ってきた。
 「間に合ったか・・・今日は何としても、さっちゃんの蕎麦打ちを見ようと思っていたから良
かったよ」
 「辰彦さんに見られてると、緊張してやり難いわ」
 と言って一瞬ひるんだが、早苗は直ぐに自分を取り戻して作業に集中した。
 水を量ったり、鉢を押えたりといった手番を近藤にしてもらい、『水回し』から『練り』まで
流れるように進めた早苗は、出来た玉を延し台に載せると、さっさと潰し始めた。


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 近藤は、空いた鉢に新しい粉を入れ、二玉目の鉢仕事を始めた。
 五郎が気を利かして、その鉢を押さえている。
 早苗が乾いた小気味良い音を立てて麺棒を使い始めると、全員が喋るのを止めて作業に見入っ
た。生地は意思を与えられた物体のように、どんどん延びて形を成していった。
 やがて延し終わった生地は反物の様に畳まれ、マナ板の上に横たえられた。
 タンタンタンタンタンタン・・・・・・・。
 軽快でリズミカルな音とともに細いそばが次々に切り出された。
 打ち粉を振るい落とし、次々に生舟に収められた蕎麦の麺線を見た辰彦がうなった。
 「たった一ヶ月でここまで成れるんだ・・・さっちゃん、頑張ったな」
 「うん、頑張ったよ・・・でもまだ修業は始まったばかりだから」
 早苗は照れながらも、『力まず、臆さず』と、市村から教わったオマジナイを胸中で二度唱え
ると、それまでと同じリズムで最後のパートを切り始めた。
 「どうです、すごい上達でしょう。市村さんもこんなに上達の早い人は見たことがないって言
ってますよ。本人の努力も半端じゃなかったですけどね。鶴屋に来てからは一日も休まず、稽古
してましたから」
 と、自分のことのように嬉しそうな顔をした近藤が、
 「おっと、急いで仕上げるから、ちょっと待ってくれ」
 早苗が切り終わりかけているのに気付いて、練りの仕上げを急いだ。

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