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ジーノのアイディア (2)

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 五月十一日午後、 穂高駅舎内の改札口。
 「はーいっ、久し振りでございまーした。お元気そうで何よりでーす」
 「いらっしゃい、久し振りだね。皆んなも会いたがっているよ」
 「いらっしゃい、ですか・・・とうとう安曇野の人になってしまったんですねえ」
 「とりあえず養殖池から渓流に戻ったけど、先はどうなることやらさ。ま、水が合っているこ
とは確かだけど」
 「じゃあ私が釣り上げてみせましょう」
 「この岩魚、エサの好みはウルサイよ」
 「取って置きのエサを用意してきまーした」
 「お手並み拝見だ」
 「忙しいのに迎えに来ていただいて、すいませんねえ」
 「仕事を持って来てくれた お客様だよ、当然だろ」
 「じゃあ、引き受けてくれるんですね?」
 「それは内容を詳しく聞いてからじゃないと、何とも言えないよ」
 「そんなこと言わずに、引き受けたって言ってくださーいよ・・・この仕事は晃さんに、持っ
て来いの仕事なんですから」
 「けっして勿体つけてる訳じゃないんだよ、俺も仕事はしたいし・・・ただ、俺の手に負える


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仕事かどうか聞いて見なくちゃ、無責任に答えられないだけさ。先ずは帰ってから、ゆっくり聞
かせてくれよ」
 二人は駅前のロータリーに停めてあった晃の車に乗り込んだ。
 間もなく車が等々力の集落に差し掛かると、あちこちに水の張られた田んぼが現れた。
ジーノが窓を開けた。
 「水の季節ですねえ、前に晃さんの言っていた通り、空気の香りが違いますねえ」
 「今月が一年で最も安曇野らしい季節さ。良かったら明日この車を貸してあげるから、あちこ
ちドライブしてきなよ」
 「晃さんが引き受けてくれれば、そんな気分にもなれるんですけどねえ・・・」
 「分かった分かった、もう到着だからゆっくり聞かせてもらうよ」
 「おーっ、いいですねえ・・・黄色い稲のアプローチもきれいでしたが、水のアプローチもい
いものですねえ。青空と雲が映って」
 「明日には、ここに小さな若々しい苗が植えられて、また一味変わるよ」
 「贅沢な前庭ですねえ」
 車は西の土蔵の脇に止まった。
 庭を横切って行くと、文吉が縁側に掛けて待っていた。
 「ジーノさん、いらっしゃい、元気そうだね」
 「こんにちは。お久し振りでーす。またお世話になりまーすが、よろしくお願いしますです」
 恵子とハルも声を聞きつけ、顔を出して久々の挨拶を交わした。


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 煮物や漬物、菓子などが並べられ、五人が縁側でお茶のひと時を過ごした。
 
 他の三人がそれぞれの農作業に戻った後も、晃とジーノは縁側に残っていた。
 「そうか・・・この企画が受けたとは聞いていたけど、そんなに好評だったんだ」
 以前にジーノが送ってくれた雑誌の、ワサビの特集ページを改めて繰りながら晃が言った。
 「そうなんですよ。編集長も自分でこんな雑誌を創刊したくせに、まさかイタリア人がワサー
ビで、あれほど膨らませるとは思っていなかったようで、大喜びです。これも晃さんのお陰です。
ありがとうございまーした。あの時、あそこで晃さんと出会っていなかったらって考えると・・・
神様に感謝です」
 「そんなに言ってもらえると、何だかいい気分だね」
 「東京のお宅で、晃さんと恵子さんがワサービ料理を色々試してくれましたが、あれも効きま
ーした。ワサービスパゲティなんかレシピも載せたのに、問い合わせがいっぱい来て、実際に店
のメニューに加えたパスタ料理専門店や創作料理店もあります。晃さんが今度東京に来た時はご
案内しますよ」
 「そいつは是非行ってみたいもんだな。あの料理はおふくろの考案した料理で、うちでは四半
世紀も前から定番料理だったけど、ようやく陽の目を見たわけか・・・」
 「恵子さんのワサービのチーズケーキも評判でしたよ。特にデザートじゃなくてオードブルと
いうか、酒の肴に醤油で食べるチーズケーキっていうのが食通に受けました。これもさっきの創
作料理店では早速メニューに載っています。料理だけでも定番から斬新なものまで、あんなにバ


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ラエティーに紹介して、物語は築地からワサービ農家の食卓、さらには北アルプス隠し沢まで。
しかも、あんなに活躍しながら脇役に徹するワサービの男気、美学。晃さんや家族の皆さんのお
陰で私も活躍できましたが、こういうコラボレーションでの成果は、編集長がこの本を企画した
趣旨とぴったりでしたから、もう喜んで」
 「いやほんと、あの仕事では我々も楽しませてもらったしね。あの中でやった、マグロと醤油
とワサビの最強のタッグに挑戦・・・あれ以来恵子のやつ、マグロ料理にとりつかれて試行錯誤
さ。えっ、今日もマグロかい、みたいに。結局色々試したけど惨敗、いい薬になったって言って
たよ」
 「あれからも皆んなで色々な企画を盛り込んでみましたが、ワサービの企画が一番好評で、あ
の考え方で、毎回十ページのシリーズ物の企画を任されたんですよ」
 「それは良かったね。で、あの考え方って?」
 「ずっと前、美味しいっていうのは、美しい味って書くんだって、晃さんに教わりましたよね。
日本人は、美味しいという感覚の中に、味と同じくらい、その食材や料理の持つ背景を大切にす
るって・・・」

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