修業 (2)
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「今始まったのが『潰し』で、『延し』の第一段階だ。小刻みに円を描くように正確に潰して、
約二周で全体を倍くらいの直径にするんだ」
潰し終わった市村は打ち粉を一打ちすると、短い方の麺棒を取り、グリグリグリグリと押さえ
つけるように、且つリズミカルに転がして延し始めた。
「今やっているのは『丸出し』。麺棒を押さえつけるように転がして生地をさらに二回りくら
い大きな円にする。麺棒を転がすのは生地の向こう側半分で、転がす度に生地を反時計回りに十
二分の一ずつ回転させて、十二回で一周して終わるんだ。麺棒はご覧の通り、短いのと長いのが
ある。短いのが延し棒で、長いのが巻き棒。一本棒だけで打つ蕎麦もあるけど、ここのやり方は
短いの一本と長いのを二本使う。今使っているのは短い方の延し棒だね」
丸い生地が少しずつ反時計回りに回転させられ、中心から放射状に延されて一周を終わった。
仕上げにグルングルンと滑らかでダイナミックな転がし方で全体を整えられると、すでに円盤と
は呼べない、一枚の丸く大きな布状になった。
円を左右に分けて、打ち粉の帯がセンターに一本撒かれ、その手前の端に長い巻き棒が一本の
せられた。
「今度は『四つ出し』。あの帯を真ん中にして手前から奥まで巻き取り、引き寄せて、両手で奥
に向かって転がしたり引き付けたりを繰り返して楕円に延すんだ」
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市村はパタパタと転がしてはスッと引き寄せ、再びパタパタ、スッと数回繰り返すと、生地を
巻いた巻き棒の向きを九十度変えて延し台の左に持っていき、右に向かって解いた。解かれた生
地は横長の楕円になって現れた。
次にその楕円を左右に分けて、打ち粉の帯がセンターに撒かれ、再び粉の帯を中心に巻き込む
様にして生地が巻き取られた。先ほどと同様に転がされた生地は、台の左手前に斜めに置かれ、
右上に向かって解かれると大きな四角形が出来ていた。
「これで『四つ出し』は完了。次は『荒延し』だ。延し棒で手早くざっと延すが、特に攻めや
すい手前半分は充分に攻めておく」
市村は近藤の言った通りに延し、手前を巻き棒に巻き取って引き寄せ、延しの甘い向こう半分
もざっと延すと、全て巻き取ってしまった。巻き取られた生地は向きを百八十度変えられ、端を
手前にして四分の一ほど解かれた。
「ここからが『本延し』。これで麺の厚みが決まるから正確に延すんだ。手前の端の延し方は、
ああやって引き手で延す。延したら別の巻き棒で延した分を巻き取り、向こう側をまた四分の一
ほど解いて延す」
市村がそれを繰り返すと、三度目には先の巻き棒が裸になった。その巻き棒を傍らに除け、末
尾も丁寧に仕上げて、全てが後の巻き棒に巻き取られた。
「次は『畳み』。切った時に麺同士がくっつくのを防ぐために、生地の間に打ち粉を挟みながら
畳むんだ。ここの畳み方は三枚畳みといって、いまの生地を三枚に分けたのを重ねてから、四つ
折りに畳むから、三×四で十二枚をまとめて切ることになる訳だ」
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市村は麺棒に巻いた生地を延し台の上で解きつつ、反物のように畳むと、分厚くて横長のまな
板を延し台にのせ、まな板の上に打ち粉を厚く打つと、畳んだ生地を載せた。そして生地の上に
も打ち粉を打ち、駒板をその生地の右端に載せた。
「次は『切り』。生地の上に置いた板は『駒板』って呼ぶ道具だよ。切りのイメージは駒板と包
丁はスレスレで、押しては駄目、離れても駄目、力まずにリズム良く・・・と言っても直ぐには
出来っこないから、これはいずれまたにしようか」
市村は左手の親指、人差し指、小指の三本指で駒板を押さえると、それをガイドに、タッタッ
タッタッタッと素早く切り始めた。早苗はそのメカニズムを観察しようと右サイドに回って凝視
したがテンポが速過ぎて、これと言ったポイントも見付からぬ間に生地は麺となり、全て木箱の
中に入ってしまった。
切り終えた市村が、蕎麦包丁の刃を布巾で拭いながら言った。
「蕎麦打ちは、延しでも切りでも耳を使って打つのがコツですよ・・・自分の作業を耳で感じ
ながら打つと良い仕事が出来ますね」
「おかみさん、すいません。直ぐに次の玉を作りますから、ちょっと待ってください・・・さ
っちゃん、後は仕事をしながら説明するからね。分からないことがあったら何時でもいいから聞
いてくれ」
といって近藤が猛スピードで次の粉回しを始めた。
いつもは市村の打っている間に、近藤が次の玉を仕込んでしまうという段取りらしい。
「すいません・・・私がいるばっかりに、仕事の流れが止まってしまって」
早苗が二人に詫びた。