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弟子入り (3)

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 「洋子さんのことで、こんな話しをするなんて私たち冷たいよね」
 「確かに冷たいかも知れないわね。でも、自分にとって大切な人を救うためなら、私は迷わず
何度でもするわよ・・・それから、これも早苗の心の栄養に、きっとなると思うから話しておく
わね。今ならお父さんも許してくれると思うから・・・・・」
 恵子は今まで子供達に伏せていた、晃の心の病気について、一部始終を話して聞かせた。
 「・・・ごめんなさい、私、自分のことしか考えていなくて・・・お父さんもお母さんも、そんな
素振りを少しも見せなかったから、私、ぜんぜん気付かなかった。そんな状態の中でも、
私たちを育てたり心配したりしてくれていたのね・・・」
 早苗の目から大粒の涙が溢れた。
 両親の深い愛情に感動して思わずこぼれた涙だったが、その涙は直ぐに、母親に見てもら
いたい、慰めてもらいたい、感謝と、甘えと、安らぎの涙に変わった。
 そんな早苗の頭や頬をなぜた恵子の頬にも涙が伝い落ちた。
 二人は見詰め合って思う存分泣いた。
 やがて泣き疲れた顔で微笑みながら早苗が聞いた。
 「お母さん、お母さんの目標は何、一流の料理人になること?」
 恵子が首を横に振った。
 「若い頃の私は確かにそれが目標だったわ。でも今の私は違ってるな。そんな大上段の目標は
何時の間にかどこかへ行っちゃった」


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 「ほんとに?・・・」
 「何がしたいのか、どうすれば私が生き生きと生きているって思えるのか・・・そうね、この
家族や仲間たちとここで暮らしていられて、私の作る料理で、その大切な人達やお客様に、
『美味しい』って感じてもらうことだね」
 「それが目標?・・・」
 「そう、それが今の私の目標。だから私の憧れの先生は西オバよ」
 「お母さんの先生は西オバか・・・」


 同じ頃、西のおえの間(囲炉裏のある居間)。
 「良かったねえ。あんなにやる気になっていたのに、断られたらどうしようかと思って・・・
あーやれやれ、良かった良かったねえ、ほっとしたよ」
 「俺なんか、自分の入学試験の発表待ちより緊張したぞ」 相好を崩した文吉が言った。
 「文さなんか、何やってても上の空で危なっかしくて、これが幾日も続いたどうしようかと思
ったよ・・・なんか急にお腹空いたなあ。夕ご飯食べ直そうか、文さ」
 「そうだな、さっきしまったの、また出してくれるか。俺も一杯やりたくなったよ」
 「修行なんて、私等は何もしてあげられないけど・・・そうだ晃、三日に行くんなら、前の日
に、お節句用の餅つきするから、鶴屋さんへのお土産に持って行くといいよ。ワサビの花芽も漬
けたのを持ってけばいいし、ノリさんとっから貰った春掘りの長芋も、持っていっておくれ。牧の
長芋は本当に美味しいからね」


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 「ありがとう、遠慮なくいただいていくね。色々心配掛けたけど、これで早苗も走り出せそう
だ・・・西には心配掛けるばかりで、悪いね」
 「バカ、そういう他人行儀なこと言うもんじゃないよ」
 「ほんとだぞ。昨日は黙っていたけど、俺たちの布団を一番濡らしたのは晃だぞ。親が子の心
配するのは当たり前だろうが」
 「おいおい俺だってもう四十一だぜ、その話はもう時効にしてくれよ」
 「時効なんてないよ。今度また他人行儀な言い方したら、子供たちにも、恵子さにも、お前が
六年生になるまで寝ションベンしたって、話しちゃうからな」
 「それと、恵子さに伝えておくれ。しばらく早苗の準備で大変だろうから、こっちの手伝いは
しなくていいからねって。ただ、二日のお昼は餅つきするから、食べにだけは来てちょうだいね
って。たのんだよ」
 「・・・ほんとに何から何まで、悪いね」
 「こーら、まだ分かっていないのかい」
 「おっとと、俺、帰るよ」
 「そんなに慌てて帰らなくてもいいじゃないか。一杯やっていけよ」
 「いや、今日は止めにしておくよ。帰ってから色々と打ち合わせしておきたいことがあるから」
 「そうか、じゃ、光に伝えてくれや。西オジが淋しがっていたってな」
 「分かった、じゃあ、また明日」

 西を後にした晃は、畑の間の小道を帰る道すがら、無数の星の澄んだ瞬きに立ち止まった。
 晃はヘッドランプを消して・・・早苗の道が順調に開けますように・・・と、星に祈った。

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