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スーパーばあちゃんだ (3)

 最初の四枚はあっという間に出てきた。
 「蕎麦が伸びるといけないから、出た端から食べてくれよ」
 五郎が気を利かして促がした。
 二回に分けて出された蕎麦だが、一瞬も釜を休めない連続作業で、瞬く間に後口のもりそばも
出された。
 蕎麦を口にして全員が顔を見合わせた。
 目と目で会話し、うなずき合っている。
 

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 「美味いなー・・・こんな蕎麦ならワサビもいらないよ・・・」
 文吉がため息のような声を漏らした。
 「ほんとに、つゆだけで充分だねえ・・・細いのに、どうしてこんなにコシがあるのかねえ」
 ハルも感嘆の声を上げた。
 「細くて麺の断面が正方形なのね・・・口当たりがサラサラ気持ちいいのは、細いのにコシが
強いのと、正方形というのもきっと大事な要素だと思うわ・・・それと、このつゆとのバランス
が絶妙ね」
 「俺も食いもんには随分投資してきたつもりだけど、それでも価値観のひっくり返るようなこ
とってあるんだな・・・それも、こんな馴染みのある料理で起こるんだから、知ったつもりにな
っちゃいけないな」  辰彦がしみじみと言った。
 「本当のご飯の味って、今までのと違いましたってくらいショックだよ・・・これから先、安曇野
で蕎麦食いに行くのに、どこへ行ったらいいんだい。いつも千曲市まで来るわけにはいかないぞ」
 夢中で平らげた晃が言った。
 続いて「おしぼりそば」と「くるみそば」が出された。
 「その大根の汁に味噌を溶いてつゆにするんだ。辛いから気を付けてすすれよ」
 店の者のような顔で『おしぼりそば』の食べ方を五郎が教えた。
 「おーっ辛っ、これはワサビ並だ。ハル気を付けてすすれよ」
 「大丈夫だよ、辛いけど・・・どっか僅かにフルーツみたいな香りがするねえ。お酒の後なん
か、この蕎麦食べたらいいだろうねえ」


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 早苗と光は、くるみ汁をつけてすする『くるみそば』が気に入ったらしく争って食べた。
 そうしている間にも調理場では、次々に入る注文の蕎麦が、茹でられ盛り付けられてゆく。
 そばのストックが切れたらしく、市村は延し台に向かうと、予め練っておいたそばの円盤を台
に載せて、そば打ちを始めた。つぶし・丸出し・四つ出し・荒延し・本延し・畳みと、流れるような
仕事だ。大きなまな板に載せると、タッタッタッタッタッとあっという間に切り終えて、さっさと
釜前(かままえ)の仕事を再開していた。
 一同は言葉を失って見入っている。
 白衣の若い男も良く動いているし、二人の女性スタッフもなかなか手際良く調理場を手伝うが、
市村の動きは別格で、常に二手三手先の仕事に向かい、他のスタッフの間を踊るようにして作業
を進めてしまう。
 「スーパーばあちゃんだっ!」
 光が大きな声で叫んだ。
 
 
 鶴屋を後にした一行は長野市内に向かい、善光寺参りをして、さらに直ぐ近くの信濃美術館に
行った。館内に入ると直ぐに光は文吉の背中で眠ってしまった。一通りめぐってからロビーの椅
子で休憩したが、話題は直ぐに鶴屋のことになった。
 「本当に七十六歳なのか?」 晃が聞いた。
 「間違いない、一月十一日に七十六歳の誕生日だったから」 五郎が答えた。


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 「見た目の若い人はいても不思議じゃないけど、あの仕事のこなし方は三十代だって言っても
通用するぞ・・・ご主人が働けない分も自分がっていう緊張感がさせるのかなあ」
 「最初はそうだったのかも知れないけど今は違うな。娘さんが二人いるけど、娘さんたちはず
っと前に嫁いで孫も何人かいるし、確か、ひ孫も出来たって聞いたな。もう無理して働かなくて
もいいはずだよ。娘さんが言っていたけど、最近も道路の拡張に引っ掛かって店を一旦壊したか
ら、保障もらって悠々自適でいくかと思ったら、さっさと建て替えて開店したそうだ。前から見
てて思うけど、生き甲斐っていうか、根っからあの仕事が好きなんだな。西オジや西オバが百姓
好きなのと良く似てる」
 「そういえば、仕事をこなしているというより、仕事を楽しんでいる様に感じたわ」
 「なんでも、四十代の時と六十五歳の時の二度、店を閉めて修行に出たこともあるらしいよ」
 「六十五歳で再修業か・・・よっぽど好きなんだね、あの仕事が」 辰彦が納得の顔をした。
 「さっちゃん、どうした、元気が無いな?」
 鶴屋を出てからというもの、やけに静かになっている早苗を心配して、辰彦が声を掛けた。
 「・・・そんなことないわ、ちょっとくたびれただけ」
 「その割には、蕎麦二枚ぺろりだったな」 晃がからかった。
 「しかしこれから先、私しゃ、蕎麦を打つのに張り合いがなくなったよ。あんな蕎麦知っちゃ
ったら・・・そうだ五郎っ、私に蕎麦打ち教えとくれっ、そうだそうしようっ」
 「もう一寸若い娘なら教え甲斐もあるんだが、ま、生き甲斐対策のボランティアするか」
 ドスッ。


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 「痛てーっ・・・てててと、ところで近くに美味い抹茶ソフトが食える御茶屋があるんだけど、
それ食ってから帰るってのはどう?皆さん乗る?」
 腹を押さえながら五郎が聞いた。
 「それって、御茶屋さんが作っているの?」
 恵子が聞いた。
 「ああ、寿ゞき園っていう御茶屋なんだが、ここの抹茶ソフトは最高だぜ・・・抹茶がたっぷ
り入ってて甘さは控え目、腹いっぱいの状態で食っても、かえってスッキリするくらいだよ。長
野市内でデザートはって時にゃ、俺は先ずそこに行くな」
 間もなく二台の車は、長野駅近くの寿ゞき園へと向かった。

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