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早春賦 (7)

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 「こんにちは晃さ」
 「こんにちはノリサ、お久し振り」
 男性の名前は浅川則夫。仲間からは、いや、町中の人から「牧のノリサ」と呼ばれている。
 職業は炭焼だがノリサが町で有名なのは、いつも炭の配達にリヤカーを引いて回るのと、子供
が好きで、子供達を集めてはハーモニカや民話を聞かせてくれるからだ。炭俵を積んだリヤカー
を引き、山麓の牧の集落から町場へ下って来て、一通り配達を済ませたノリサは、小学校の校庭
の片隅や、門の近くで子供たちを待っている。そして昼休みで出てくる子供や下校する子供を集
めては、ハーモニカを吹き、民話を語るのだが、それを何年も続けている。
 ノリサの奥さんは若い時に流産をして、以来子供が出来ない。それでノリサはあんなに子供が
好きなのだろうと大人たちは噂をしているが、本当のところは誰も知らない。
 ノリサは文吉より十歳ほど若い五十六歳だが、文吉とは古くからの友人で、また、文吉の炭焼
の師匠だ。文吉も牧に小さな炭焼釜を持っているが、その釜はノリサの手を借りて作ったものだ
し、そこで焼く炭の質が玄人はだしなのも、炭焼名人ノリサのコーチのお陰だ。
 逆に文吉がノリサを助けることも多い。ノリサは自動車を持っていないので、山から切り出し
た炭材の運搬などを、文吉が四駆の軽トラで手伝ってやることもあるし、ノリサが釜を新しく築
く時には手伝いに行く。
 「それにしても、ずいぶん沢山の炭を焼いたもんだねえ」


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 炭の山に感心した晃が言った。
 「すごいだろう。まだ一回じゃ運び切れないのが残っているよ・・・うちが炭に困らないのは
ノリサのお陰さ。なあ、ノリサ」
 ノリサは返事をする代わりに、ただ穏やかに微笑んでいる。
 ノリサは無口で余計なことは、ほとんど喋らない。
 子供たちを集めてハーモニカを聴かせたり、民話を語ったりする時も、物語以外の話はほとん
どしない。それでも子供たちとコミュニケーションが取れているのは、ノリサはテレパシーを使
えるのではないかと、大人たちは噂をしている。
 晃も手伝って炭を三人がかりで土蔵に入れた。
 「おーいっ、お昼よーっ」
 東屋のテーブルに、ぼた餅と五平餅を置きながら、恵子が呼んだ。
 三人は水舟から落ちる水で手を洗いテーブルについた。
 「エゴマとクルミの味噌をからめたのも作ったから、たんと食べてちょうだいね。外でお昼す
るには一寸早いけど、今日は風も無いし暖かいから、ここでいいよね?」
 豆腐とネギの澄し汁を盆に載せて運んできたハルが言った。
 「お天道様がこんなに頑張ってくれているのに、家の中に居たんじゃ罰が当たるよ」
 背中に浴びた心地好い陽光に、目を細めた文吉が答えた。
 「ぼた餅も美味いが、西オバの作るエゴマとクルミの味噌は最高だね」
 ぼた餅の半分ほどの大きさの味噌餅を、一口で頬張りながら晃が言った。


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 「そうだろう・・・ハルと見合いさせられた時に土産に貰ったのが、この味噌をぬった五平餅
さ。その美味さにクラクラッとだまされて、このざまだよ」
 文吉の頭を、ハルの手にした盆の角が突いた。
 「ところでノリサ。松子さ、まだ陶芸やってるかい?」 晃が聞いた。
 「松子のやつ、夢中になって作るもんだから、家中器だらけで困ったものさ」
 嬉しそうにノリサが言った。
 「その徳利(とっくり)も松子さが作ってくれたんだよ」
 ハルがテーブルの上の、茶褐色で素焼きのポタリとした二合徳利を指差した。
 ワサビの白い花が二本、生けられている。
 「へーっ、これ、ノリサの奥さんの作った徳利だったの・・・でもこれって備前風よね?」
 「松子さに陶芸教えたのが備前のお坊さんなんだよ。満願寺の和尚さんの友達とかで、満願寺
に長逗留している時にノリサに炭焼教わって、代わりに松子さに陶芸教えていったんだよ」
 と、ハルが言った。
 「だけど備前焼っていったら、マキを使う窯を作らなきゃ出来ないんでしょ?」
 「ノリサの家に行ってみろよ、立派な窯があるから。松子さが土をひねって、ノリサが焼くん
だ。ま、オシドリ窯ってことだな」 晃が言った。
 「すごいっ、ノリサって器も焼けるんだ・・・」
 「俺には時間だけは、いっぱいあるからね」
 「違うさ、ノリサが炎使いの名人だからさ・・・満願寺の和尚が言ってたけど、その坊さんだ
って、焼く段になったら、かえって教えられたことの方が多かったって、言ってたそうだもの」


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 文吉が自分のことのように自慢した。
 「私、備前焼って好きだなあ・・・土とか炎の味が出て、料理なんか載せたら一番引き立っち
ゃう。特にこの徳利みたいな、おおらかな感じのっていいなあ・・・ねえ、あなた、お店開く時
の器、そういうの使いたいわねえ」
 「恵子さ、松子伝えておくから、どんなものが要るか決まったら遊びに来いよ」
 「ほんとにっ!・・・でも、どんなお店にするのか、まだぜんぜん決まっていないんだわ」
 「決まってなくてもいいから、あいつの作るの一度見てやってくれ、喜ぶから」
 「良かったーっ、今日ノリサに会えて」
 「どんな店にするのか、まだ決まらないのかい?・・・商売は難しいって聞くし、私等にいい
考えでもあれば手助けしたいんだけど、商売のことはさっぱり分からないしねえ・・・」
 「ありがとう。昔立てたプランはあるんだけど、二十年近く経つと時代も自分も、すっかり変
わってしまって・・・今のところ決めたのは『安曇野の風土から生まれた様な店にしたい』とい
うことだけ。そのためには安曇野の食材や郷土料理を、しっかり勉強しなくちゃいけないから、
西オバが頼りなの。西オバの生徒になって色々教わっている内に、きっといいアイディアが浮か
ぶと思うの」
 「私の田舎料理が商売に使えるのかねえ・・・」

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