早春賦 (2)
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明科町を通過して、さらに東の筑摩山地へと車は入って行った。
このふくよかな低山群の中には、まさに日本昔話に出てくるような集落が沢山点在している。
その中の四賀村という山村に差し掛かると、あちらこちらに立っている案内板に気付いた恵子
が言った。
「分かった・・・フクジュソウを見に行くんでしょう。さっきから案内看板があるもの」
「正解。まだ走りだから花数は少ないが、今日は特別な日だから行ってみる価値は充分にある
んだ・・・あとは、恵子のおこない次第だ」
「・・・・・・」
村の一角に設けられた仮設駐車場で車は止まった。
まだ走りだというのに先客の車が、すでに数台止めてあり、人影も見えた。
その人のいる方に目をやった恵子が、からかうようにいった。
「あーら、残念でした。目的の花は雪の下みたいよ」
「だから来たんだよ」
「・・・・・」
四賀村赤怒田のフクジュソウ群生地だ。三月中旬には、山際の斜面に数十万株のフクジュソウ
が群れ咲く大群生地だが、上旬だと開花はまだ走りの時期だ。ただ、数ある花の中には気の早い
者もいて、しっかり咲き揃っている株も少なくはない。
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晃は陽の当たった斜面に恵子を連れて行った。
「あーっ、咲いてるーっ、雪の中で咲いているわ」
新しい雪の中から顔を出した、鮮やかな黄花が陽光を受けて輝いている。
「良かった、ちょうど見頃の時間だったな。どう、いいもんだろ」
「・・・すごいわね、真っ白な雪の中から頭を出して咲くなんて。何だか雪が冷たく見えない
わ。白い布団って言うか・・・」
「恵子のおこないが良かったということかな・・・この雪が残雪だとこうはいかないけど、新
雪ならこんなにパキッとした白と黄が楽しめる」
「見て・・・風に花が震えるのなんか、花同士でささやき合っているみたい。でもこれって、
ものすごい力強さも感じる瞬間ね」
「力強さ?・・・」
「・・・なんて言ったらいいのかしら、この対比が、冬と春を絶対に分けるんだっていう、花
のクサビみたいにも見えるじゃない」
「冬と春を分ける花クサビか・・・いいね」
「いいものを見せるって、これなら納得よ。思いついてもらって良かった」
「この雪中花を味わうにはタイミングが大事なんだ。フクジュソウは過酷な時期に咲くだけに、
自分を守るため、条件次第で花を開いたり閉じたりするから、今回、来るのが早過ぎても花が開
いていない。陽を受けないと開かないんだ。かといって午後に来たのでは雪が解けて地面が出て
しまう。この時期の雪は陽が当たると簡単に融けてしまう泡雪だからね。この純白と黄色をパキ
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ッと合わせて楽しめるのはシーズンに二度か三度、それも各三時間くらいかな。と、いう訳で、
きっと恵子のおこないが良かったという話さ」
「貴重な瞬間ね」
「うん、貴重と言えば貴重だね」
「ところで、どうして今が見頃って分かったの?」
「どの時期のどこそこの花が、どの程度かは親父に、さんざん引き回されて、血や細胞の中に
刷り込まれているし、昨夜の一時、南雪が降ったんだよ。二つが重なって三つ目の今朝の晴れと
揃えば、答えは出たようなものさ」
「血や細胞の中のデータは花以外にもあるの?」
「花鳥風月、自然のことならかなり入ってると思う。それと、相手は自然だから、その年によ
って花の咲く時期や紅葉の時期なんかが、多少ずれるのは当たり前なんだけど、俺にデータが刷
り込まれたのは本の中からじゃなくて、フィールドばかりだからね。全部のデータが影響しあう
っていうか、干渉しあって、勝手に答えが出るんだよ・・・鳥の様子で魚のことや花のことが分
かるみたいに。今もフクジュソウ見ながら水中で石の裏に卵を産み付けているカジカが見えてる。
フクジュソウから始まって桜のころまでは、カジカの産卵期なんだ。一つの花だけで言うなら、
ワサビの花の時期はって言うことも出来るけど」
「・・・お父さんがあなたに、自然との関わりを捨てるなって書き残してくれた気持ちが、少
し分かった気がするわ」
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「恵子、出来るだけ美人の姉妹を探してくれないか、撮影するから。いいのを見つけてくれた
ら、福寿草まんじゅうオゴルからさ」
「美味しいの?」
「ここの売店で売っているのは、婦人会のおばさんたちの手作りで、ヨモギ入りの生地にカボ
チャを餡にしてあるんだ。上手いよ」
結局撮影した花は晃の見付けたものだったが、恵子は福寿草まんじゅうにありついた。
「いいわねえ、緑の生地を割ると黄色い餡が見えて、福寿草の里にぴったりの銘菓ね」
「西へも買っていってやろうか?」
「そうしましょうよ、西オバの好きそうな味だし。でも、今日のフクジュソウは緑生地にカボ
チャ餡じゃなくて、白い生地にカボチャ餡ね」
「そうだね、それも飛び切り白い生地と、黄色系のカボチャ餡がイメージかな」
フクジュソウの群生地入口には地元婦人会などの売店があり、中でも福寿草まんじゅうは特に
人気が高い。
柔らかな陽気に誘われて二人はもう少し散策を続けることにした。
水際でゆれるネコヤナギの穂を眺めながら保福寺川を渡り、反対側の山裾まで行ってみた。
恵子は以前に、こうして晃の背中を見ながら、あちらこちらと付いて歩いたのを、懐かしく思
い出していた。あれから、こういう日が再び来ることを何度願ったことか・・・諦めかけた頃に
願いが叶うとは・・・早春の陽を受けた晃の背中と、その向こうの田の畦や雑木林をしみじみ
眺めた。
「ほら、マンサクも咲いてたぞ」
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振り返った晃が指差した。
雑木林の所々に、黄色くて短い糸くずの様な花を無数につけたマンサクの木があった。
「春に先ず咲くからマズサクでマンサクになった」
「へー、豊年満作のマンサクかと思ったわ」
「おっと、いい勘してるねえ。そういう説もあるんだ」
「ほんとなの?」
「ほんとはどちらも言われてて、俺にもどっちが正解か分からないよ」
近くの枝で、黒い頭に灰色の背中、真っ白な頬のシジュウカラが、ツーピーツーピー・ツツピ
ーツツピーと求愛のさえずりを始めた。
「ツーピーツーピー・ツツピーツツピー」
口笛で真似て鳴いた晃が、両手を腰の脇でパタパタさせて唇を突き出した。
「何を下手な鳴き真似してるのよ」
「求愛のさえずり」
「馬鹿ね・・・」
恵子も唇を突き出し、二人は小鳥の様なキスを交わした。