修業 (7)
「西オバ、お雛様どうして片付けちゃったの?」 光が不服そうに聞いた。
「どうしてって、困ったねえ・・・お雛様は、いつまでも出しっぱなしにしちゃいけないって、
昔々から決まっているんだよ」
「変なの・・・賑やかで良かったのに・・・」
「日本には、そういうお祭りみたいな楽しみが一年の間にいっぱいあるんだよ・・・だから一
つの楽しみをしたら、もう少ししていたいなあってところで片付けていかないと、次の楽しみを
迎えられなくなっちゃうんだよ」 晃が助け舟を出した。
「じゃあ、お父さん、もう直ぐ次の楽しみが来るの。何が来るの?」
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「・・・つぎの楽しみは花祭りさ。雛祭りも別名『桃の節句』っていって、花祭り的なとこ
ろもちょっぴり含んだ祭りだけど、この辺りで桃が咲くのは、もう少し先だよな。だけど、これ
からは違うよ、これからの時期は次々に花が咲き出すから、花火大会を見てるみたいで、あっち
こっちで色んな花が咲いては消えるんだ」
「あっちこっちで咲くの?」
「そこの梅も、畑のコブシも、もう満開になってるだろ。この後、直ぐに始まるのが桜で、桜
が満開になったら花の下でお花見するんだぞ」
「そうだ、桜だっ。今日学校の桜が咲き始めたよ。ノリサが教えてくれた」
「そうか、いよいよ咲き出したか。で、どのくらい咲いてた?」
「ポツンポツンて咲いてるだけだよ」
「明日もあさっても良く見ててごらん、一年の間には色々なことが次々に起こって、次々に消
えていくのが解るから。父さん約束するよ、一週間以内に学校の景色は別世界になるぞ。そうし
たらお花見しなくちゃな」
「わーいっ、お花見だーっ・・・ようーし、明日から桜、見張ってやるぞーっ・・・桜が終わ
ったら次は何?」
「そうさな、山麓のカタクリが咲くだろ、平野でモモやナノハナが追い掛けて来て、前山のタ
ムシバが続くかな」
「タムシバって変な名前だね、虫歯みたいだ」
「名前は変でも白い花を沢山咲かせるいい木だよ。うちの畑の横にある、あのコブシとよく似
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た木で、花の多く付いた時なんか、前山の山肌に雪がのったみたいに見えるんだ。そして、タム
シバの後にチューリップやレンゲも咲く。ただし、ノリサのとこみたいに標高の高い所じゃまだ、
ウメやコブシも咲き出したばかりだから、一概に順番を言うことは難しいな。それに花の種類は
今言った以外にも山ほどあるから、とにかく花祭りさ。色んな花が次々で、うっかりしてると見
逃しちゃうぞ。花の花火大会みたいなもんさ。俺も気付いたら教えるから、光も何か見付けたら
教えてくれよ」
「うん、分かった見付けてやるよ。どの花でもお花見するの」
「・・・おいおい、お花見は桜だけで勘弁してくれよ。ま、中にはナノハナでもレンゲでも、
お花見やお祭りをするところはあるけど、この春は俺たちも忙しいからな。花の都合と、光の都
合と、俺たちの都合が合った時は出来るかも、ってことにしておこうな」
「なーんだ、つまんないの」
「まあそう言うなよ。焦らなくても地球が回っている限り、お楽しみは次々にやって来るんだ
から。今月末のゴールデンウィークから始まるのが水祭りさ。全部の田んぼに水が張られて、こ
の平野中が別世界になっちゃう。空気まで水の香りがする様になるし、田んぼの水に空や山が映
り込んで安曇野の一番いい季節、水の季節さ。その田んぼの中に入って田植えをするんだ。その
時は田んぼの畦で、おやつを食べたりお茶をのんだりするけど、これが美味いんだ」
「田植えは僕だってお手伝いしたことあるし、畦で食べるおやつが美味しいのだって覚えてい
るけど、田植えもお祭りなの?」
「そうだ、光もお茶運んだりしてお手伝いしてくれたよな。田植えの済んだ晩には、確か夕ご
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飯でもご馳走食べるし、お祭りみたいなこともしたよなあ・・・」
「田植え祭りじゃ駄目かなあ・・・」
「お祭りと一緒さ。田植えが済んだ後の夕ご飯のお祝いは早生饗(さなぶり)っていって、田
んぼの神様にご馳走を上げて、皆んなでもご馳走食べてお祝いするんだよ。いいお米がいっぱい
実りますようにってお願いしながらね」 ハルが教えてくれた。
「やったっ、やっぱりお祭りだっ」
「光やい。そのお祭りの前にも大事なお祭りがあるの、忘れていやしないか」
文吉が聞いた。
「・・・なんだっけ・・・教えて?」
「端午の節句さ、鯉幟を上げる。お前が主役の祭りだぞ、忘れるなよ」
「!そうだっ、鯉幟上げるお祭りもあったっ。・・・ほんとに次々だね」
「鯉幟上げる時は、光も手伝ってくれよな」
「いいよ、お手伝いするよ。僕も次々で忙しくなるなあ」
「ところで西オジ、今日中に種蒔き終わらせて、明日は何をやるんだい?」
「そうだな、明日は麦の土寄せと、桑の台直しかな」
「味噌や醤油の仕込みは、まだしなくていいの?」 恵子が聞いた。
「それは二十日頃でもいいけどね・・・ただ最近は温暖化で何でも早まっているから、十日過
ぎれば、いつでも都合の良い日でいいよねえ、文さ」
「うん、十日を過ぎれば早めにやってしまった方がいいかも知れんな。月末になると田んぼの
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仕事も始まるし、五月からはワサビの収穫も始まる・・・今年もいよいよ忙しい時期が始まるな」
「そんなこと言いながら、このジイサンは直ぐに川に逃げ出すからね。魚に待ったは効かない
とか言って。米だって野菜だって待ったは効かないのにね」
「魚っていえばアカオの『つけ場漁』は、月末辺りからシーズンが始まるよね・・・代掻(しろか)きや
田植えの時期と重なって、西オジはどうするんだい?」
「田植えが済むまでは見逃してやるさ。俺の『つけ場漁』は、田植えが済んでから始まりだ。
アカオ(ウグイ)のシーズンは長いからな。それから連休前後は、そこら中の田んぼが一斉に水
を引き込むから、犀川の水も一時的に減っているし」
「ああ、そうだったね」
「ハル、とりあえず、お花見したら味噌と醤油仕込んじゃうか?」
「そうだね、今年も陽気が暖かいから、そうせずかいね(そうしようかね)」
「じゃあ決めておくか。花見の日に大豆洗いと、麦を炒って挽いておく。で、翌日が仕込みだ。
この日は忙しいぞ。およそ・・・十日後になるかな」
回りの樹木の様子を見回しながら文吉が言った。