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雪嵐 (10)

 ザイルに確保されている晃は横倒しのまま両袖に垂らしたグローブをはめ直し、腹這いになる
と、風雪の激流を右手に横切った。
 直ぐ先に、たわんだ細いポールの先で千切れんばかりに振れている赤布があった。雪洞の入口
は、このデポ旗の右脇にある。ただ、雪洞を嵐のダメージから守るため、あえて入口を雪ブロッ
クで埋め戻してあるため、内部に入るには、先ずその雪ブロックをどけなくてはならない。
 風雪の激流が、瞬く間に彼の体温を奪っている。
 腹這いのままザイルに身を預け、細引きを引いて雪スコを手繰り寄せ、突き崩すように掘ると
直ぐに雪洞が口を開けた。


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 横倒しになりザックを背負ったまま頭から滑り込む。
 ザックを外し、予め内部に入れておいた雪ブロックを入口に積み、空気窓だけ残して塞いだ。
入口を閉じた雪洞の中は、今までとは打って変わって静かだった。
 身体が冷え切っている。急いでザックからシュラフを取り出したが、残念なことにテントマッ
トとサーマレストマットは先刻、テントとともに失った。ただ、シュラフは防水のシュラフカバ
ーに入っているので、直接雪面に置いても濡れる心配が無いのはありがたい。さらに雪面からの
冷気を避けるため、中身を残らず取り出したザックを潰し、シュラフの下敷きにしたが、背中か
ら尻までしかカバー出来ない。そこで防水のスタッフバックに入れた予備の衣類や万能板なども
敷いたが、腿の下をカバーするのが精一杯で、膝から先に敷くものが無い。何か良い物はないも
のかと雪洞の中を見回すと、先に入れておいた二本のストックが目に入った。・・・これだっ!そ
のストックを掴むと晃は内心微笑みながら柄を縮め、下敷きの足りない所に、少しの間隔を持た
せて二本とも横渡しに置いた。
 靴を脱ぎテントシューズとオーバーシューズを重ね履きしてシュラフに潜り込む。体勢を安定
させようと身体を捻ると、右脇腹に激痛が走った。パーカーの下に手を入れ、傷むところに触れ
てみる。どうやら肋骨が二本ほど折れているようだが、今はどうすることも出来ない。左手の甲
に自らつけた傷も深く、まだ出血しているものの、大判のバンドエイドを張って何んとか凌げる
ようにした。
 脇腹の痛みで食欲は無いが、、冷え切った手足を回復させるために非常食を食べ、熱い湯を飲
んだ。ほっとすると睡魔に襲われたが、眠っている間に空気窓が塞がったら危険なことになる。
嵐が去るまで何んとしても見張り続けなくては・・・晃は空気窓を見詰めたまま眠りに落ちた。


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 「晃、起きろ」
 呼ぶ声の方を見上げると、外から父親の源吉が覗き込んでいる。源吉が太陽を背負っているた
め眩しくて、顔を見るのが辛いが、間違いなく父だ。
 「早く起きろよ。帰るぞ」 微笑みながら源吉が言った。
 「親父・・・どうして・・・」
 上半身を起こそうとした瞬間、脇腹に激痛が走り我に帰った。
 「しまった!・・・」
 あせって凝視した空気窓は幸い塞がっていなかった。それどころか、かえって大きくなり、そ
こから差し込んだ鋭い陽光が晃の顔を照射していた。
 「終わったのか・・・」
 痛む脇腹を押さえながら、身をよじって空気窓に顔を寄せた。期待を込めて外の様子を窺うと、
すっかり広がった青空と、鹿島槍ヶ岳の天狗尾根を、逆巻きながら右手上方へ後退している雪雲
の縁が見えた。
 シュラフから抜け出した晃は、入口を塞いだ雪ブロックを雪スコで突き崩し、待ちわびた太陽の
光を雪洞の中に招き入れた。同時に湿った空気が、りんと乾いた冷たいものに代わった。
 疲労と寝不足で思考力が極めて鈍っていた。せめてあと二時間は睡眠を取ろうと思ったが、
その前に、しておきたいことがある。

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