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雪嵐 (5)

 ここに来れば、両親の気配か面影に僅かでも触れることが出来るのではないかと期待していた
晃は、それが叶わず気持ちのやり場を探した。
 そこで晃は、父の最期の撮影地点となった大遠見山の肩と、大遠見山山頂まで行ってみること


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にした。、大遠見山山頂までの標高差は約百十メートル、距離にして約七〇〇メートル足らずの登
りだ。空身になり、山スキーを履いた彼にとっては、本来なら散歩コースのはずなのだが、今は
状況が違う。
 先ずは、ほぼフラットな尾根上を二百メートルほど快適に飛ばした。相変わらずゴーグルは外
せないまでも、こんな風に雪上を渡って行くのは、十八年振りのことだった。
 間もなく差し掛かった痩せ尾根の右手は、あの日、母が事故に巻き込まれた場所だ。晃はその
左側を慎重に登りながら、事故の様子を想像した。迫りくる嵐を前に、重傷を負った妻を必死で
助けようとする父の胸中に思いをめぐらし、唇を噛んだ。
 高低差約四十メートルの急傾斜を登り切り、さらに緩斜面をしばらく登ると、あの日、カメラ
機材を発見した大遠見山の肩に達した。
 あの日、二人の遺体がヘリで運ばれてしまった後、大杉からの情報を頼りに向かった現場検証
と遺品の回収に、夢遊病者のようになった晃は、皆んなの制止を振り切って同行したのだった。
その時の記憶が鮮明に蘇り、足元の雪に、カメラ機材を入れたバックと三脚を埋めている父の
姿が見えるようだった。
 次に目指す大遠見山山頂は目前にある。天候の急変が心配なので先を急いだ。酔いのせいで呼
吸が辛いが、残りの高低差五十メートルの登り緩斜面を、一気に直登して山頂を踏んだ。
 あの日、ここにも小さな赤い旗が揺れていた。その旗の下からは装備の大半が見付かった。
その装備を掘り出す作業中に、晃は初めてのフラッシュバックに襲われて倒れた。そして、我
に返ったのは病院に搬送される途中のヘリの中だった。


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 遠い日の記憶を辿りながら、両親の気配を感じ取ろうとしたが、それはここでも叶わなかった。
 荒い息の中に深い溜息をついた晃は、自分のテントの方を見下ろした。
 「こんなに近くにありながら、手に入れられなかったとは・・・シュラフとマットだけでも手
に入れていたら助かったものを・・・」
 胸の中で搾り出すように呟き、ここの装備と両親とを隔てた風雪の凄さと、父の無念を察した。
 再び背後を振り返ると、遠見尾根がさらに奥へと延び、五竜岳はもう目前にあった。
 晃は五竜岳に背を向けると、何かを吹っ切るように雪を蹴り、雪面に軽快なシュプールを描い
て下った。十八年の時を経ても、山スキーを普通に扱えてしまう身体の記憶を半分怨みながら、
テントまで一気に滑り降りた。二人の人間に死を突きつけた距離はスキーで下ると、空しいほど
短かった。

 山スキーを外した晃はテントと雪洞の間から、尾根に向かって数メートルほど登った雪面に、
横長の思い切り深い穴を掘った。ザイルの端で二本のスキーを括り穴の中に埋めると、そのザイ
ルのもう一方の端をテントの入口まで引いて来て、末端に付けたカラビナで張り綱の一本に留め
た。このザイルは、暴風雪の中で作業する場合の命綱だ。
 雪洞に二本のストックを投げ込み、雪洞を嵐から守るために、あえて入口を雪ブロックで埋
め戻し、その脇に赤布のデポ旗を立てた。
 夕暮れが近づいている。吹雪になってからでは食事が満足に取れるか分からないので、無理矢
理でも食べて、体力をつけておく必要があった。
 テントに入り、入口に置いたブラシで靴の雪を丹念に落とし、テントに入れる。
 床に小さな板を置き、上にガスコンロを据えて点火した。


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 コッヘル(万能なべ)にテルモスの残りの湯を全部入れて火に掛け、湯の中にナイロン袋の雪
を入れて溶かした。ゴーグルが温度差と高まった湿度で曇り視界が滲んだが、現実味が薄れ、雪
を扱うのには好都合だ。
 その鍋に真空パックにしたビーフシチューをパックごと入れる。このシチューは妻の作ってく
れたもので、牛のスジやスネ肉を一日じっくり煮込んだ、箸でも千切れるほど柔らかなものだ。
 温まったところでパックのサイドをつまんで裂き、シチューを器にあけ、同じくパックにしたブ
ルドッグとともに味わった。嬉しいことに、テントの中にいるためかシチューも酒も美味い。
飲みながら、沸騰している湯に再び雪を足して再沸騰させ、その湯でテルモスを満タンにした。
 酔いとともに更に食欲が湧き、残った湯に餅を二切れ入れ、その餅が柔らかくなりかかったと
ころに、インスタントの味噌ラーメンを入れた。
 俺が雪を溶かした湯で作った料理を食うことになろうとは、はたして食えるのか・・・。ブル
ドッグのパックをもう一つ取り出し、端を切り、そのまま一気に飲み干すと、波紋が広がるよう
な感覚で強いアルコールが全身に達した。
 かなり酔いの回ったところで煩わしかったゴーグルを外し、味噌ラーメンをすすってみると、
何のことはない、これも結構美味しく平らげた。
 酔ってはいたが、食べると体中から気力が湧いてくるのを感じた。
 酔っているから、そう感じたのかも知れない。
 「キチガイ水も使いようか・・・」
 大きな声で独り言を言った晃は、さらにもう一パック取り出し、速いピッチで飲み切った。

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