水祭り (7)
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間もなく社務所の方から平安装束をまとった十人ほどの神官と一人の巫女が連なって現れた。
神官の一人が木樽を捧げている。木樽の中には昨日の「お水迎え」で、犀川橋近くで汲み上げた
犀川の水が入っているはずだ。
先頭を歩いて来た宮司の穂高が晃達に気付いて声を掛けた。
「昨日はご苦労様。今日は五郎ちゃんまで一緒か、ありがとうね・・・晃ちゃん、源さんの思
い出だ・・・ゆっくり見て行けよ」
言い残すと穂高宮司は竜頭(りゅうとう)の舟の舳先近くに、立ったままの姿勢で乗り込んだ。
木桶の水も同じ舟の中央に乗せられ、他に神官四人と巫女が一人乗り込んだ。
鷁首(げきす)の舟には舳先に紋付袴の男が一人乗り、他に五人の神官が乗ったが、その神官
の内四人は、笛や笙(しょう)などの雅楽器を手にしている。
いずれの舟に乗り込んだ者も立ったままの姿勢を保ち、やがて雅楽の演奏が厳かに始まると、
それぞれの舟の後尾に乗った神官が水に竿を差し、竜頭の舟を先にして二艘の舟は、明神岳を映
した鏡の様な水面を静かに滑り出した。
カメラマンや観光客たちが、しきりにシャッターを切っている。
晃も広角系と望遠系のズームレンズを着けた二台のカメラを駆使して連写した。
池を時計回りに奥へ向かっていた二艘の舟は、池の向こう側まで行くと、舳先をこちらに向け
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て池の中央まで戻り、右舷を見せて動きを止めた。
竜頭の舟の中ほどに立つ神官が樽を船べりにのせた。
後を追っていた鷁首の舟が追い着き、雅楽の演奏が一際高まると、竜頭舟の樽は傾(かし)げられ、中
の水が樽からこぼれて池に落ちた。
そそり立つ明神岳の下の、紅葉に染まった鏡のような池での、たったそれだけの穏やかで美し
い祭りだった。
「いつか槍ヶ岳の山頂から、似たようなことをやってみたいものだなあ・・・」
嘉門次小屋の囲炉裏端(いろりばた)で煙にむせながら晃が呟いた。
「いいですねえっ!私も連れて行ってくださーい・・・何かインスタレーションみたいで、私
も同じ空間を体験してみたいでーす」
「何だな・・・そのインスタ何とかっての、辰彦も誘って四人でやろうか」
岩魚の塩焼きにかぶりついたまま五郎が言った。
「そうだな、槍ヶ岳のてっぺんじゃ、今日の関係者に話しても一緒に行くはずないもんな・・・
まあ、槍ヶ岳登山のお楽しみも兼ねて、来年のいい時期にやろうか」
「決まりですねえ・・・これで槍ヶ岳にも登れますねえ」
「それより早く、くじ引きやろうぜ。ビールが温まっちまうから」 五郎が二人を促した。
「よし、じゃあ言い出しっぺの五郎から引けよ。頭が無かったら当たりだぞ」
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晃が握り締めたマッチの軸を三本突き出した。
ゴクリと咽を鳴らして、五郎が一本の軸を引いた。
「はいっ、五郎に大当たりーっ。岩魚の塩焼き食いながら、お茶で我慢だなんて流石は公僕、
心がけが違う、精神の鍛え方が違う、なかなか真似の出来ないことです。じゃあ、我々凡人は、
とりあえず麦のお水から、はい、カンパーイッ」
「・・・あっー・・・滲みますですねえ。せっかくだから、お米のお水もお迎えしましょうか」
「それはいいですねえ・・・お米のお水、一寸温めてからお迎えしませんか」
「いいですねえ。いいお祭りになりましたねえ、サーノさん」
沢渡からの運転手役を引き当てた五郎は、頭の無いマッチの軸を呆然と見詰めていた。