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水祭り (6)

 沢渡から乗ったタクシーが、上高地の正門とも言われる釜トンネルの急坂を抜けると、一気に
開けた視界を、、焼岳(やけだけ)のドーム型の山容が独占した。焼岳と車道との間を、梓川の深
く大きな谷が隔てていたが、焼岳の異様な存在感は、その谷を乗り越えて見る者を圧倒する。
 紅葉はすでに中腹まで降りていて、シラカバがレモンイエローの黄葉を山腹に散りばめている。
 五郎が焼岳のことをジーノに教えている間に差し掛かった右カーブで、左手に大正池と、その
背後に冠雪したばかりの穂高連峰が現れた。冠雪は稜線だけをなぞるように白く染め、連山を秋
晴れの蒼い空から、くっきりと押し出している。
 二人は晃を気遣ったが、知ってか知らずか、助手席の晃は大正池をぼうっと眺めている。
 間もなく谷は盆地に入ったかと思わせるような広がりを見せて、車道の傾斜も、ほぼフラット
になった。


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 「ここが有名な上高地ですかあ・・・」
 「昔は神様の河の内って意味で神河内(かみかわち)って呼ばれたのが、上高地に変化したら
しい。それから、この大正池は一九一五年に、あの焼岳が噴火した時の溶岩や泥流で、梓川がせ
き止められて出来たんだよ。一九一五年は日本の年号で大正四年だったから、大正池って名前が
つけられたわけだ。上高地って呼ばれる部分は、ここから始まって最奥の横尾まで、総延長十数
キロもあるが、その間はずっと平坦で広い谷が続いていて、およそ四つのエリアに分けることが
出来るんだ。先ずここから河童橋(かっぱばし)まで、次が明神まで、さらに徳沢、そして横尾
までの順で、徳沢や横尾は奥上高地って呼ばれてもいる。バスやタクシーが入れるのは、河童橋
の少し手前の上高地バスターミナルまでで、後は歩きになるが、各区間とも、ゆっくり歩いて約
一時間かな・・・横尾までだと三時間もかかるんだ。今日は明神までだから一時間コースだな」
 ジーノはICレコーダーを取り出すと、再び五郎に同じ解説を頼んだ。
 五郎の解説がリピートを終了するころには、タクシーは上高地バスターミナルの広場に入った。
 周囲に観光客の多いのにジーノが驚いている。

 マヒワの群れが遊んでいるカラマツ林を抜け、梓川左岸に出た。
 水量豊富な梓川の、青みを帯びた透明な流れに沿って上流に向かうと、前方から流れてくる冷
えた秋の大気が、三人の首筋を心地良く撫でた。
 チュインチュインと鳴き交わしながら右手の林内をマヒワの群れがついてくる。
 間もなく大きな吊り橋の袂に着いた。


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 「これが河童橋だよ。河童橋っていう、この橋の名前の由来は、芥川龍之介って・・・・」
 「さあさあ、河童の話は歩きながら聞くとして、二人とも明神池に向かって、前にー進めっ・・・
早く行かなきゃ、お祭りが始まっちゃうぞ」
 ジーノを橋の上に連れて行こうとしていた五郎を引き戻して、晃は左岸の遊歩道を上流に向か
った。小梨平(こなしだいら)の森に入ると観光客の姿はだいぶ減った。樹林帯を行く遊歩道の
周囲では、ミズナラやカツラが美しく黄葉し、ハイカーに踏まれたカツラの落ち葉が、焼きおに
ぎりのような薫りを漂わせていた。
 途中、梓川を見下ろす高みを巻いたが、再び森に入り、小一時間で明神の吊橋に辿り着いた。
 下の河原では、水際にランチシートを広げた若いカップルが寄り添って寝そべり、梓川の瀬音
をBGMに、秋の雲を眺めている。
 三人は吊橋で梓川を渡り対岸の森へ向かった。
 森に入って直ぐに左手の嘉門次(かもんじ)小屋から、美味そうな薫りの煙が流れてきた。
 その煙をくぐってから僅か先の、原生林の中に穂高神社奥宮はあった。
 社務所から更に奥の神域へと向かうと、森がぽっかりと開けて明神池が横たわっていた。そし
て、その池の直ぐ背後には、地表を突き破った様にそそり立つ明神岳が、のけぞるほどに急激な
高まりを見せ、紅葉で飾った荒々しい山体を澄んだ水面に映している。
 池の畔には桟橋があり、舳先に竜の頭を付けた舟と、鳥の頭を付けた舟の、二艘の小さな木舟
が繋がれていた。
 そんな池畔では既にカメラマンやハイカー達が、祭りの始まるのを待ちかねている。

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