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水祭り (1)

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 十月中旬、安曇野の夕暮れ時。
 「へいっ、らっしゃーいっ・・・何だ晃か、久し振りだなあ」
 カウンターの中にいた、鮨辰二代目の辰彦が言った。
 「やあっ、久し振り。オジサンとオバサンは?」  晃がたずねた。
 すると、奥の厨房との間の暖簾(のれん)を分けて年配の夫婦が顔を出した。
 「生きの悪いので良けりゃ、ここに一番(ひとつがい)いるぞ。ようっ、晃、元気だったか。
はあるかぶり(久し振り)じゃないか」
 「晃、こっちへ帰って来るんだってねえ。また賑やかくなるねえ」
 辰彦の両親、木村辰三と、てる子だ。
 「まだ先のことだけどね・・・来年の三月ごろの予定だよ」
 と言って晃はカウンター席の入口近くに座った。
 「菊子さや子供達は変わりないかい?」 晃が聞いた。
 「お陰様で皆んな元気にしてるよ。菊子さは今、夕飯の用意してるけど、済んだら晃の顔を見
に来るって言ってたよ」  てる子が教えた。


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 「別に見るほどのもんじゃねえけどな」  辰彦が言った。
 晃は久し振りに入った鮨辰の店内を、懐かしそうに眺め回した。
 「岩魚に山女魚(やまめ)に鱒(ます)か・・・ずいぶん立派な魚拓(ぎょたく)が増えたねえ。
釣り人は、どれも木村辰彦か、河童が釣りに凝るってのも妙な話だなあ」
 「そろそろ楽隠居させてもらおうと思っていたのに、お陰で仕事を押し付けられてばかりさ。
マグロでも釣ってきてくれるなら、ありがたいんだけどな」  辰三が言った。
 「よく言うぜ。いつも俺の釣ってくる山女魚を食っちまう奴は誰だい」
 「今日は皆んなで、どこかに出掛けて来たのかい?」  辰三が聞いた。
 「うん、水祭りの『お水迎え』に犀川へ行ってきたんだ。だから明日は『お水返し』で、上高
地まで行ってくるんだよ」
 「羨ましいねえ。私も以前から『お水返し』に行ってみたいと思っているんだけど・・・ちょ
うど紅葉もいい頃だと思うしね」
 「干からびた婆さんが、返すお水も無えくせに、行ってどう・・・」
 途中まで言った辰三の腹に、てる子の当身(あてみ)が入った。
 「紅葉も通り越した、ハゲ山ジジイに言われたくないね」
 「晃、五郎はちょっと遅れるって電話があったよ。先に始めててくれって」  辰彦が言った。
 「そうか、じゃあ西オジたちが来たら、始めるとするかな」
 「別行動なのか?」
 「うん、西オジたちは俺の車で中房温泉に行ったからな」
 

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 「じゃあ、お前は軽トラで来たのか?」
 「いや、トレーニングになるから走ってきた」
 「トレーニングって何の・・・」
 辰彦の質問が終わらない内に入口の引き戸が開いて、彫りの深い外人の顔が現れた。

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