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天然家族 (5)

 朝食後、直ぐ近くの公園で光とキャッチボールをしていた晃だったが、光の仲間が集まってき
たので、彼等をそこに残し、部屋に戻ってきた。
 早苗はどこかに出掛けたらしく、居るのは妻だけだった。
 「恵子、早苗のことだけど、ずいぶん明るくなったんじゃないか?」
 「・・・でも波があって、さっき明るくしてたと思ったら、物思いに耽っているし、私、あの子
の淋しそうな顔を見ると、ぞっとするのよ。漆山さんのことと重なって」
 「そうか・・・でも、部屋から出て来るようになっただけでも、一歩前進じゃないかな」
 「そうね。あの子は大きな事故に遭ったのと同じだから、焦らずに支えてあげなくちゃね」
 と言いながら、恵子が入れ立てのコーヒーをよこした。
 晃はコーヒーを飲みながら、しばらくぼんやりしていたが、下がり壁の時計が午前十時を指すと、
立ち上がって電話機を手にした。


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 「・・・もしもし西オバ、俺、晃だけど・・・うん、この間は、どうもありがとう・・・いいじゃない、
何度言っても・・・ところで、今日電話したのはさ、俺たち一家四人全員で、そっちに移住しようと
思うんだけど・・・本当だよ・・・こんな大事な話で冗談なんか言わないよ・・・本当に本当だって・・・
住むところ、住むところは家の離れ・・・大丈夫だよ、バストイレ付きだもの・・・うん、ありがとう。
きっと色々迷惑掛けることになると思うけど、宜しく頼むね・・・時期は光の春休みに合わせる
つもりだけど、その前に俺と恵子は、何度かそっちと行き来して準備始めるつもり・・・西オジは?
・・・じゃあ、午後一番くらいに掛け直すよ・・・うん分かった、じゃあ後で」
 晃は、さらにこの後、佐野五郎と木村辰彦にも次々に電話を入れて、ほぼ同様の会話を繰り返
した。
 その会話をそれとなく聞いていた恵子は、自ら堀を埋め始めた夫の姿に、並々ならぬ決意を感
じ、浮かれていた自分に、少し恥かしさを覚えた。夫には、まだこれから苦しい戦いが残ってい
るんだ・・・ごめんなさい、あなたの気持ちを考えずに。と、胸の中で夫の背中に詫びた。
 昼の十二時丁度に電話が鳴った。
 相手は家に戻ったばかりの文吉だった。電話の向こうの文吉は、ハルから聞いたばかりの情報
を、興奮気味に一つ一つ繰り返して確かめると、嬉しさのあまり、直ぐに列車に乗って上京しか
ねないありさまだった。
 晃は言葉を尽くして、それを思いとどまらせた。



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 「すいません、週明け早々時間を作っていただいて」
 「なんだい今日はまた・・・営業嫌いな泉先生が、自分の方からやって来るなんて、今朝は傘
を置いてきちゃったけど、大丈夫かなあ。ところで四時から会議が入ってるから、あまり時間無
いんだけど、いいかな」
 広告代理店、早風の長崎部長のオフィスだ。
 「お忙しいところに、お邪魔してすいません」
 「で、相談って何?」
 「・・・長年使っていただきながら突然で恐縮ですが、来春、田舎に引っ越そうかと思ってい
るんですが・・・」
 「田舎って、確か安曇野だったよねえ・・・向こうとこっちじゃ遠すぎて、不便になるんじゃ
ないの?」
 「いえ、事情がありまして、こちらでの仕事を止めて田舎に移ろうと思います」
 「えっ、向こうじゃ同じ様にはいかないでしょうに・・・」
 「向こうで風景写真家として出直すつもりです」
 「風景写真って・・・風景写真で食える写真家なんか、極一握りじゃない。家族抱えて、そん
な確率の悪い賭けをするつもりなの?何があったか知らないけれど、考え直した方がいいと思う
よ・・・確か二人のお子さんだって教育費やなにやら掛るのは、これからっていう時でしょう?」
 「お恥かしいんですが、風景写真家になるのは子供のころからの夢なんですよ、その夢を実現
してみたく・・・いえ、実現することにしたんですよ」


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 「夢ねえ・・・何だか泉先生、危険な方向に行きそうに思えるけどなあ。夢で食えりゃ世話な
いんだけど、この世の中で勝ち抜いている奴は皆んな現実的な奴ばかりだと思うよ。それに、泉
先生ご指名のクライアントはどうするの?」
 「そこは来春までに、信頼できる仲間の福沢や渋谷に、引継ぎを済ませるつもりです」
 「それにしたって幾つかは逃がしてしまうことになる、それは、うちに諦めろってこと?」
 「全て繋げる保障はありませんが、出来る限り努力しますので、お許しください」
 「出来る限りねえ・・・いいなあフリーの人は気ままで。僕なんか宮仕えだから、出来る限り
なんて言っても返事してもらえないもんな・・・出来ただけが物を言う世界だからね、組織は。
組織の歯車として、どこまで気の利いた歯車になれるか、そこにプライドを持ってやり続けてき
たから、子供も大学を出してやれたし、かみさんを海外旅行に連れて行ってもやれる。まあ、こ
んなこと言っても始まらないな。フリーでやってる人と我々では、住む水が違うから」

 晃は三日かけて、これまで付き合いのあった仕事先の全てにあいさつ回りを済ませた。
 これで晃の東京での仕事は、根の全てを断ち切られたことになる。

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