天然家族 (1)
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キョッキョッキョッキョッキョッキョ・・・ヨタカが鳴いた。
焚き火はまだ小さく燃えている。
晃は思い出したように冷たくなったコーヒーを飲み、火に流木を足した。
沈黙が煙りと一緒に流れている。
「でも、泉さんは幸せですね・・・普通の人と比べたら、ずいぶん短い時間だったかも知れま
せんが、お父さんやお母さんとの、かけがえのない日々を経験できたし、思い出もありますね。
うらやましいです。私なんか、両親の顔も知りません。本当のこと言うと、私は孤児院で育った
んですね。私に日本語を教えてくれた恋人って言ったのは、その孤児院の院長さんの奥さんです。
奥さんは日本人で、とても優しい人でした。私達はお母さんって呼んでいました。院長さんも優
しかった。二人とも、とても優しく育ててくれましたが、でも、やっぱり皆んなのお父さんとお
母さんです・・・私も自分だけの、本当のお父さんやお母さんと暮らしてみたかったですねえ」
「・・・そうか、俺がこんな話を聞かせたから、ジーノさん、したくなかった話まで、する破
目になってしまったね」
「そうですね・・・でも、私も聞いてもらうと楽になれますから。もともと顔も知らないどこ
ろか、どこのどんな人かということも、まったく分かりませんから、気にすることなんか無いっ
て、いつもは思っているんですけどね・・・でも、時々とっても淋しくなったり悲しくなったり
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するんですね・・・こんな大人になっても母親に抱かれている夢を見ることがあるんですよ、顔
も知らないのに」
「・・・・・」
「ところで、お父さんが最後に撮影したフィルムは、現像することが出来たんですかあ?」
「うん、お陰様で回収したフィルムは全て無傷で現像出来たよ。最後の朝に撮影した、朝日に
燃えるような鹿島槍と、前夜に月光で撮影した星空バックの幻想的な鹿島槍が現れたけど、何と
いっても、鋭い朝日をあびて赤く燃え上がりながら、津波のような雲と組み合っている鹿島槍は
凄かった・・・何時か、あの写真に恥かしくないような写真が俺にも撮れたら、親子展をしたい
と思っているけど、こんな病気のままでは、はたしてどうなるか・・・」
「それはいいですねえ。泉さんのお父さんやお母さんは亡くなってしまったけど、二人が残し
たかったもの、やり残したもの、伝えたかったもの、それを実現してあげられるのは、泉さんし
かいないんじゃないですかあ。中でも泉さんが自分らしく精一杯生きている、それがご両親の最
も残したかったものじゃないのかなあ。それに、泉さんには家族がいる。その家族や社会に、ご
両親から受け継いだものを伝えてあげなくていいのですか。ご両親が一番悲しむのは、自分達の
死んだことが、泉さんの人生の重荷になることだと思いますねえ」
「俺は両親の死んだのを、自分が養殖池から出られないでいる、言い訳にしているのかも知れ
ないな・・・」
「人には養殖岩魚の系統と、天然岩魚の系統があるんではないですか。私の直感ですが、泉さ
んも、泉さんのご両親も、天然岩魚の系統だと思いますね。違いは、養殖岩魚には自由がありま
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せんが、天然岩魚には自由があります。でも自由には大きなリスクが伴います。養殖岩魚に飢え
死には無いですが、天然岩魚には飢え死にの可能性もあります。養殖池の岩魚は岩から転落して
死ぬ危険も知らないですむ。でも泉さんのお父さんとお母さんは、天然の人生を生き抜いたと言
えるのではないですか。うっかり迷い込んだ養殖池のコンクリートの壁の下で、登ろうか止めて
おこうか迷っている岩魚ですね、泉さんは」
「・・・手加減無しに、ずいぶん突き刺さることを言うなあ」
「そうそう、昼間見た岩登りしていた岩魚・・・自由って大変なのか、とっても充実している
のか、聞いてみたいですよね」
「そうだよな、あいつが話せたら是非とも聞いてみたいよね。それに、さっきジーノさんに釣
られた尺岩魚も、いい顔してたもんな。あそこまで生きるためには、この川が大雨で荒れ狂った
り、獣に狙われたり、釣り師に狙われたり、餌にありつけなかったり・・・そんな中を、時に用
心深く、時に大胆に生きて来たんだろうね」
「本当ですねえ・・・天然のプライドっていうか、風格ありましたよね」
「それが一瞬の油断で、刺身と骨酒にされちゃった。それも、こんなヘボイ釣り師に釣られて、
マ・サ・カ・・・みたいな顔してたよな」
「泉さーん、さっき名人って言ってくれたじゃないですかあ」
「ジーノさん、ありがとう。もう充分だよ・・・後は自分の天然のプライドとじっくり相談し
てみるよ」