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雪の彼方へ (3)

 「よし、この場所なら間違っても見失うことはない。それじゃ、紀子が先で俺が後ろからサポ
ートだ。いいか、コントロール出来なくなったら即、山側に転べよ。何度転んでもいいからな、
すぐ起こしてやるから・・・さあっ、気合入れて下るぞ」
 雪が本格的に舞い始めた中で三人は下山を開始した。しかし下山といっても、途中の中遠見山


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を越え、さらにその先の小遠見山に辿り着くまではアップダウンを繰り返すだけで、標高差は大
して稼げない。本当の下りルートに入れるのは、小遠見山の分岐を左に折れてからになる。
 先刻の撮影地点までの標高差約五十メートルは斜度もそれほどきつくなく、ほとんど空身にな
った若者は幾度か転びはしたものの、どうにか下ることが出来た。
 源吉はサブザックに括り付けてきた雪スコを使い、再び大急ぎで雪面を掘ると、撮影機材を入
れたサブザックと三脚を入れて雪をかけた。
 「この先の痩せ尾根は斜度も急で一番の難所だが、その痩せ尾根さえ上手く下り切れば、ルー
トを見失わない限り何とかなるはずだ」
 源吉は目印の赤布を付けたポール(デポ旗)を雪面に突き刺し、その横に雪スコも柄の握りが
隠れるまで深々と突き刺してデポった。
 北西から横殴りの風が強まり、雪を叩きつけてくる。
 紀子は尾根の前方の中遠見山と、その先の小遠見山を眺め・・・何事も無かったら今ごろ小遠
見山辺りまでは辿り着いていただろう。仮に荷物をデポッたなら、どんなに下まで降りていただ
ろうか・・・などと思ってみた。だが現実の下山はまだ始まったばかりだ。それどころか、目指す
中遠見山と小遠見山は吹雪に霞み、ますます遠ざかって行くように思えた。
 三人は落差四十メートルほどの急な痩せ尾根の上部に立った。ここさえ下り切れば、大遠見と
中遠見の間のコル(最低鞍部)も近いが、ここは右も左も急傾斜の谷が待ち受ける痩せ尾根なの
で、使えるコースの幅は狭い。
 「よし、風は左からだからスキーを履いた右が谷足で好都合だな。風上に身体を向けて、二の
字二の字のカニ歩きだ。いいか、低い姿勢で重心は靴の下、トップにもテールにも体重を乗せちゃ


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駄目だぞ、滑り出しちゃうからな。内エッジを確実に利かせて、もし滑り出しそうになったら
直ぐに左足を雪に差し込んで止めるんだぞ」
 「解りました」 青年は青ざめた顔で返事をした。
 「尾根の右側に沿って行くんだぞ。絶対に左側に踏み込むなよ。左の斜面は下が崖になってい
るから」
 先ず紀子が下り始め、五メートルほど遅れて青年が続いた。
 紀子は青年の方を注意深く振り返りながら降りている。源吉も青年に続いて下り始めた。
 北の大黒沢の方で谷が吠えた。
 「直ぐに突風がくるぞっ、風の音が近づいたら姿勢を低くしてやり過ごせっ」
 源吉が叫んだ。間もなく不気味な音とともに、猛烈な強風がやって来た。
 三人は、カタツムリの様にしゃがみ込んで顔を伏せ、突風をしのいだ。
 「よしっ、次のが来ない内に行くぞっ」
 源吉が立ち上がった。
 突風に動揺して怖気づいた青年は、源吉の声に立ち上がろうとして、うっかりスキーの前方に
加重してしまった。
 「あ・・・」 という小さな声を立てたが、腰が引けているため、北の谷に向かって滑り始め
た自分を止められなくなっている。
 下から見ていた紀子が、
 「危ないっ!転んでっ!」


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 と叫びながら若者の前方に出て、止めようとしたが逆に巻き込まれた。二人は絡み合ったまま、
左の谷側に転がり落ちて行った。数本のダケカンバの間を転がり、さらに岩壁を一つ落ちた。
 「紀子っ!」 あせった源吉が稜線から外れて見下ろすと、幸いにも二人は二十メートルほど
下方の深雪に助けられ、止まっていた。
 「紀子ーっ、大丈夫かーっ」 源吉が大声で呼んだ。
 紀子は仰向けで頭を斜面の下に向けていたが、赤いパーカーの腕を動かして見せた。
 源吉は痩せ尾根の下部まで滑り下り、急斜面の深雪を祈る思いでトラバースして、岩壁の下に
駆けつけた。
 「大丈夫かっ、紀子っ」
 紀子の雪まみれの顔が青ざめ苦痛にゆがんでいる。紀子は逆さになったまま自分の右足を指差
した。
 見るとスキーを履いたままの右足が、すねから下の辺りで不自然な方向を向いている。
 源吉の吐いた白い大きな溜息を、風が一瞬でかき消した。

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