隠し沢 (4)
「イナゴの付け方は・・・これで、いいですかあ?」
「上等上等。えーと、次はあの岩の下を狙ってみようか。そうそう、あの岩の下で水流がゆっ
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たりとしたところ。身体を低くして、音を立てないように近付いたら、エサを少し上流に落とし
て、流れにのせて送り込むんだ。水流に任せて二回探ってみようか。俺は後からついて行く
からね。上に枝があるから気をつけて」
ジーノは教わったばかりのテクニックを、呪文の様に口ずさみながら釣り始めた。
「えーと・・・姿勢を低くして静かに静かに・・・一、二、でポトッと・・・ユラーリ・・・
ユラーリ・・・」
イナゴが岩の下に流れて行くと直ぐに、水面に岩魚の頭が突き出し、イナゴを銜えて反転した。
「!ッ」
とっさにジーノが合わせると、細い渓流竿が弓なりにしなっった・・・ラインが右手に走った。
「あっ、泉さーんっ!!助けてくださーいっ」
「あっ、下がるなっ、伸(の)されると切れちゃうからっ」
晃が駆けつけて、ジーノの両手に自分の手を添えた。
「こうやって竿尻を下げて竿を曲げるんだっ・・・竿の弾力を利かした方が切れないから・・・
こいつは尺物だぞ・・・大丈夫、落ち着いてやりとりすれば上げられるから」
岩魚は必死の抵抗をみせたが、やがて近づいてきた。
「よし、いいぞ、そのまま砂利の上にあげちゃえっ」
ところが、もう一息のところで、ゴトンッゴトンッと身を左右に振り、再び岩魚が抵抗した。
「おーっと危ないっ・・・我慢我慢・・・竿を信じて、このまま我慢だよ」
いくら強烈に暴れても、インパクトを竿とラインに緩衝されてしまう岩魚が、最後の力を使い
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果たすのに、さほど時間は掛からなかった。
「よし、ジャリの上にあげるよ。滑らせるようにね」
砂利の上で銀茶色の魚体が跳ねている。竿をジーノに任せた晃が駆け寄って押さえつけた。
「ジーノさんっ、竿を置いて来てみてっ。竿とラインを踏まないようにねっ」
晃がジーノの両手の中に魚を渡した。はっとするほど冷たい魚体が、手の中で身をよじった。
「・・・・・」
初めて間近で見た岩魚は、銀をベースに半透明の茶と緑をまとっていた。体側から背にかけて
大小霰(あられ)の小紋が散りばめられ、岩魚が身をくねらせる度に、体色や小紋の表情が美しい
変化を見せた。
ジーノの体内を今しがたの手応えが、走った後の血液のようにめぐっていた。