田舎のおもてなし (4)
92
「あれか!・・・猿?」 と小声で晃。
「そう、猿」 と文吉も、小声で答えながら部屋を出て行った。
ハルが三種の「ワサビ葉寿し」を持ってきた。
「はい、今度はワサビ葉寿しだよ。これがワサビの茎漬けをのせたもの、これが野菜の味噌漬
けとゼンマイとベニショウガ、これがウナギの蒲焼にオロシワサビ」
そこへ何やら大事そうに抱えた文吉が戻ってきた。
「猿酒(さるざけ)かい・・・何をこそこそやってるかと思えば」 とハル。
文吉は小さめのグラスを四つ並べて、赤ワイン風の液体を注ぐと小さな声で、
「こそこそ飲(や)るから美味いんだよ。去年仕込んだ猿酒だ、味を見てくれ」 と言った。
「ワインと似ていますが・・・猿酒って何ですかあ?」 ジーノが聞いた。
「野生のヤマブドウを採った猿が、隠しておくうちに発酵して出来たワインさ」 と晃。
「ほんとですかあ?・・・飲んで大丈夫ですかあ?」
「頭の白い猿ですよ」 とハルが文吉を指差しながら、お勝手に戻った。
「なーんだ、そうですかー」
と、ジーノはグラスに鼻をかざしてから、赤紫の液体を口に含んだ。
「・・・ワーォッ、野生的だけどしっかりワインになっていますねえ・・・お昼のホンシメジの山景色が、
一段と膨らみまーした。今、見えている景色と、実際の景色を比べてみたいものですねえ」
93
「明日、比べられるよ。それより、あなたもこれで共犯だよ。ワインを勝手に造ったり、それを
飲んだりしたら違法だからね。今、警察に踏み込まれたら明日のニュースに流れるよ、国際密
造酒団摘発ってね」 晃が言った。
「でも、この味を覚えちゃったら、止められませんよねえ・・・でも、これは絶対内緒でやら
なきゃいけない楽しみですねえ」 ジーノがますます小声で言った。
「だから、いっそう美味しくなる。さあさあ飲んでください」 文吉が勧めた。
しばらくすると、
「猿酒なら、ジーノさんにいただいた、これを一緒に食べてみなくちゃねえ」
と言ってハルがヤギのチーズを持ってきた。
「チーズの下に敷いたのは『おやき』の生地だよ。チーズをのせた後で、もう一度炙ってなじ
ませてみたが、相性が良いと思うんだけどねえ」
「合う合う、出会いの妙だね」
「ハル、やるじゃないか。これは相性がいい」
「チーズもびっくりですよーっ。まさか日本でこんなに気の合う相手とめぐり会うなんて」
「ハル、次の料理はなんだや」
「はいはい、次の料理は・・・ウナギの肝吸いで・・・コンニャクの刺身で・・・キノコやナ
スや魚をその囲炉裏で焼く、かな」
「そうか、それなら俺でも出来る・・・こんどは、お前がここで飲んでろよ」
94
「代わってくれるだかい、嬉しいねえ」
ハルが座った。
文吉は勝手を知った風に肝吸いを作りながら、コンニャクを切り始めた。
「俺もちょっといたずらしてくるよ」
と言って晃もお勝手に下りて行った。晃はお勝手で文吉と二言三言交わすと、何か細かそうな
作業を始めた。
ハルはジーノに勧めながら、自分もいい調子で飲み始めた。
「この、おやきの生地は生坂村の友達に教わった『灰焼きおやき』の生地だけど、赤ワインや
チーズと、とっても良く合うねえ。粉も生坂の地粉で、かなりクセのある粉だけど、かえって良
かったみたいだね」
と、ハルがお勝手の文吉に声を掛けた。
「うん、その固くてクセのある生地ならではだな・・・ハル、俺の分、少しは残しておけよ」
文吉が心配そうに言った。
コンニャクの刺身にオロシワサビを、こんもりと添えて持ってきた文吉は、その皿を置くと、
ついでにウナギのワサビ葉寿しを一つ、自分の口に放り込み、生ビールで満たしたグラスを持っ
てお勝手に戻った。
「ジーノさん、そのコンニャクは九十七パーセントが水だよ。それを水の精のワサビで食べる
んだ」 お勝手から晃が言った。
ジーノの横で、ハルがしきりにコンニャクなる珍奇な食物の説明をしている。
「ちょっと皆さん、聞いてくれるかな。俺、なかなか良い俳句を一句ひねったよ。えーと・・・
95
こんにゃくや水とワサビでふくを越え・・・なんてどう。ふくって河豚(ふぐ)だよ、なかなか名句じゃ
ない。季語の入れ過ぎだけど、ま、サービスってことで」
お勝手の晃が盛り上がってきた。
「うん、なかなか言い得て妙だが、そんなのなら俺にも出来るよ・・・いいか・・・婚約や木
曽の娘とふく迎え・・・どうだ、こっちの方が名句だぞ」
文吉にも酒がまわってきた。
「そんなの俳句じゃないよ。それに、何か盗作されたような・・・」 晃が言った。
ハルが自分の出身は木曽だと、ジーノに説明している。
「それにしても、水が刺身になるんですねえ・・・やっぱり水の国だあ・・・」
とジーノが言った。