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父の足跡 (1)

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 二人が穂高神社の一の鳥居をくぐって境内に入り、社務所の脇に自転車を止めると、笛と太鼓
のお囃子(はやし)が聞こえてきた。
 「お祭りですかあ?」
 「いや、祭りはもう少し先だから、きっと、お囃子の練習をしてるんだと思うよ」
 二の鳥居もくぐり、見上げる様な木々に囲まれた広場に入る。広場の中央には神楽殿(かぐらでん)
が、どっしりと座り、神楽殿の向こう側には拝殿(はいでん)が正面をこちらに向け、翼を広げた鷲(わし)
の様に厳かに構えている。拝殿の背後はうっそうとした森だ。
 二人は拝殿の前に進み、並んだ。
 「ここに安曇族の祖神の穂高見神(ほたかみのかみ)と、その父神の綿津見神(わたつみのかみ)が
祀られているんだ」
 「海の神様、水を操る神様ですねえ」
 「この辺りは長野県でも有数の穀倉地帯だから、治水や利水の神様として祀られてきたとも考
えられるよね」


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 ジーノは晃の見よう見真似で拝礼をし、柏手(かしわで)を打った。
 「北アルプスに向かって、お参りしているような気分になりますねえ」
 「正直言うと俺も神社にお参りする時は、大自然に向かってお参りしているような気持ちにな
ってるなあ・・・まあ、日本は八百万(やおよろず)の神々の住む国とも言われるくらいだから」
 「ヤオヨロズって何ですか?」
 「八百万と書いてヤオヨロズって読むんだけど、ものすごく沢山という意味だよ・・・それほ
ど大勢の神様の居る国ということだね」
 「日本にはそんなに大勢の神様がいるんですかあ?」
 「日本人の自然観に、自然界のあらゆるものに神が宿るっていう考え方があるんだよ。山とか
水とか木とかね。大自然そのものが神様だって言ってもいいのかな。だから自然は征服する対象
じゃなくて、敬い寄り添って助けてもらう対象なんだ」
 「征服するんじゃなくて、寄り添ってですかあ。でも私の見た感じでは、今の日本は自然を征
服しようとしているように見えますねえ」
 「耳が痛いな」
 祭囃子の練習が一段と熱を帯びてきた。二人はその音に誘われるように境内を南に抜け、
南神苑に行った。作りかけの祭り舟の横で、十人ほどの子供達が年長の子の指導で真剣に
練習していた。
 「間もなく祭りだから皆んな一生懸命だ。俺も若いころは夢中になってやったもんさ」
 「もうすぐ祭があるんですかあ?」


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 「うん、月末の二十六日と二十七日に安曇野で一番大きな祭があるんだ。安曇族の神様を祭る、
『お船祭り』っていう祭りだよ」
 「えーっ!もうすぐじゃないですか・・・見たかったなあ、残念だなあ」
 「おいおい、晃ちゃんじゃないか」
 不意に背後から声が掛かった。二人が振り返ると神官装束の七十がらみの男性が立っていた。
 「あーっ、宮司さん、すっかりご無沙汰してます」
 そこにいたのは穂高神社宮司の穂高和幸(ほたかかずゆき)だった。穂高はかつて父源吉の
友人だった男だ。晃は二人をそれぞれ紹介した。
 「なんだ、お船祭りまでいるんじゃないのか。そりゃ、あなたも残念ですねえ、せっかくこんな田舎
まで来ていただいたのに」 穂高宮司が言った。
 「はいーっ、残念でーす。海人族の神様、水を操った神様のお祭り見たかったですねえ。安曇野の
水の物語を、もっと見たかったでーす」
 「水の物語ですか・・・だったら来月の『水祭り』の時、もう一度いらしたらどうですか。あの祭りには
晃ちゃんも縁が深いわけだし、丁度上高地の紅葉の時期で、外国の方には、とっても良い体験に
なると思いますがねえ」
 「宮司さん・・・どうして俺が『水祭り』に縁があるんですか?」 
 「??晃ちゃんは源さんから何も聞いていないのかい?」
 「・・・・・?」

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