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もちつき (2)

 着替えを済ませた二人が東屋に行くと、すでに臼の中の湯が捨てられていた。
 「ジーノさん、餅搗きは見たことがあるかね?」 文吉が聞いた。
 「いえ、初めてでーす。でも、餅(もち)はイタリアでも食べたこと、ありますです」
 「へー・・・イタリアにも餅があるだいねえ??そいつは知らなかった」
 「いえ、日本から送られてきたのを食べさせてもらったんでーす」
 「そーかいそーかい、今日は一臼しか搗かないから、張り合いが悪いけど、搗き立ては一味違
うでね、いっぱい食べてくださいよ。ああそうだ、ジーノさん、ちょっとこれ見てくれるかね」
 文吉はジーノを水舟に誘った。
 「これがさっきのワサビだが、見ててくださいよ」
 文吉は棚の上からナイフを取り、ボサボサの根の中に差し込むと、ワサビのイモを一本外した。
 「こうして根を全部落としてと・・・後は茎を指三本幅分の高さ残して切り落とせば・・・ほら、


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 見覚えのあるワサビになったでしょ」
 「・・・確かにワサービになりましたけど・・・ワサービは茎も葉っぱも、みんな捨ててしま
って使えるのは、たったこれだけなんですかあ?」
 「違う違う。逆にワサビは捨てるところがないんだよ。すりおろして使うのはイモの部分だけ
ど、茎も根もほとんど全部が色々な加工食品に利用できるんだ」
 「そうですかー、安心しまーした」
 「ワサビ餅も作ってあげるから、ジーノさん、すりおろしてみるかい」
 「おろしですね。はい、やらせてくださーい」
 文吉は何事にも積極的なジーノが、すっかり気に入ってしまった。文吉は棚からおろし金を取
るとワサビと一緒にジーノに渡した。
 「晃、ジーノさんにおろし方、教えてやれや」
 「分かった。ジーノさん、憧れのワサビだ。優しく、出来るだけ細かくおろしてやってくれよ」
 言って晃はニヤリとした。
 ジーノは黙々とワサビをおろし始めたが、直ぐに横を向いたり、上を向いたり、モジモジと妙
な仕草を始めた。
 「涙が・・・鼻水が・・・こ、これ、全部おろすんですかあ?」
 「あっ、その手で目をこすっちゃ駄目だっ」
 ワサビの辛味成分は揮発性で、大量におろすと目や鼻を強烈に刺激されるため、慣れない者に
は厄介な作業だ。悪戦苦闘でジーノのオロシワサビが出来上がった。


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 「文さっ、いくよーっ」 お勝手からハルの声がした。
 「おーっ、いいぞーっ」 文吉が返した。
 お勝手から蒸篭(せいろ)を抱えてきたハルが、蒸け上がった餅米を布巾ごとボトンと臼の中に
あけ、布巾をはがすとフワリと蒸気が上がった。
 臼の横に置かれたバケツの湯の中に杵(きね)の先を浸けていた文吉が、杵尻を右手で鷲(わし)
づかみにして、柄を左手で握り、体重を掛けて杵の先で餅米をつぶし始めた。文吉は同じ動作を
繰り返しながら、臼の周りを回るようにして満遍なく餅米をつぶした。
 初めて目にする光景にジーノは目をクリクリさせて見入っている。
 文吉は再び杵の先を湯に浸けると、
 「いくぞっ」 と声をかけ、杵を振り上げた。
 「はいよっ」
 とハルが返すと、杵はドスンッと下りた。再び文吉が杵を上げると、ハルが湯で濡らした手で
ピシャリッと米を打った。その音を合図にドスンッ、ピシャリッ、ドスンッ、と繰り返された。
 しばらくすると、米は半潰しの状態で餅らしくなり始めた。
 「文さ、ストップッ」 
 とハルが言うと文吉が杵を引いた。ハルは両手を濡らすと餅の向こう側をめくり上げ、引っ張
り寄せて手前に重ね、グイと押し付けて、「はいっ」と声を掛けた。間髪を入れずにドスンッ、と
杵が落ちた。再び「はいっ」、ドスンッ、と始まった。
 「危なく、ないんですかあ?・・・一歩間違ったら大怪我ですよお」


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 と、ジーノが晃の耳元で呟いた。
 「心配御無用。あの二人なら目をつむってても出来ちゃうよ」

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