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わさび畑 (1)

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 「それじゃ早速、ワサビ畑へ行ってみるとするかな」
 「いよいよですねーっ、ワサービ畑、早く見たいでーす」
 「遠くからおいでたお客様に、ゆっくり休んでもらわなくていいのかなあ・・・」
 「私は大丈夫でーす」
 「晃、今何時になる?・・・十時半か。餅(もち)搗(つ)くから昼には帰って来いよ」
 「おっ、搗き立ての餅は久し振りだなあ・・・あれっ?、お月見も、お祭もまだだし・・・餅
搗くことなんて、何かあったかなあ?」
 「あるさ・・・バカ息子が帰って来たんだ」
 「・・・西オジは、相変わらず山へ行ってるかい?」
 「行ってるなんて・・・田んぼほったらかして、毎朝、真っ暗いうちから行ってるよ・・・山から
けえって来たと思や、おらに茸(きのこ)のしまつ押し付けといて、こんだ(今度は)川へ行っち
まうし、まったく糸の切れた凧爺(たこじい)さんで困ったもんさ」


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 「じゃ、ちょっと行ってくるよ」
 二人が行きかけると後からハルが声を掛けた。
 「晃。今夜はスガレもあるからな」
 「!!わかったっ」
 「・・・泉さーん、今夜スガレ食べられるんですかあ?」
 「食べられるけど・・・夜中に俺を襲うなよ」
 「泉さーん・・・」
 二人は桑畑の手前で左手の落差二メートル程の土手を降りた。
 土手には、丁度開花期をむかえたフジバカマの群落があり、高さ一、五メートル程の茎の
上に載せた、淡紅紫色で散房状の花を無数に並べている。一群の花は独特の香りを漂わせ、
アカタテハやキタテハ、ミドリヒョウモンやイチモンジセセリなど様々なチョウが飛び交い、
吸蜜をしていた。
 「ずいぶんチョウが集まっていますねえ」
 「この花はフジバカマっていうんだけど、よくチョウを呼ぶ花なんだよ」
 「このチョウはずいぶん大きなチョウですねえ?」
 「おや、珍しい。それはアサギマダラだよ。普通は山麓や山岳で見かけるチョウだけど、
長旅の途中の燃料補給に寄ったのかな」
 「遠くまで飛んで行くんですかあ?」
 「うん、特に遠くまで飛んで行くヤツは、沖縄県の与那国島まで行ったのもいるから、千数百
キロも飛ぶんだね。ただ、個体差があって長旅の嫌いなヤツもいるみたいだけど」


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 「・・・この身体で、そんなに遠くまで行けるんですかあ?」
 「行けるから不思議なんだよ。このチョウは神秘のチョウって呼ばれていて、このチョウの生
態を専門に追い掛けている人達も大勢いるんだよ・・・ほらほら、そいつの羽を良く見て」
 「・・・ああっ!何か書いてありますねえ」
 「あの文字と数字で、いつ、どこで誰が確認したか解かるんだ。インターネット上にアサギネット
っていうネットワークが出来ていて、データを照会し合えるようになっているからね。山麓や北の
方には、もっと沢山集まる場所もあるよ。少し北の大町市には、多い日で二千頭も集まるような
所さえあるし」
 「このチョウが二千頭も集まるんですか・・・神秘のチョウ、興味ありますねえ」
 「何にでも興味示す人なんだね・・・じゃ、ついでに教えておくけど、日本の昔の貴族は、この
フジバカマの花を匂い袋に入れて、枕元や懐に忍ばせていたらしいよ。この花の香りには動物
の性欲を高める成分が何かあるらしい。たしか乾燥しても使えるって、聞いたかなあ」
 「おうっ!そうなんですかー・・・これ、少し摘んでもいいですかあ?」
 「幾つでもどうぞ・・・ただし、効果の程は保障できないけどね」
 「でも、泉さんは、そっちの話に詳しいんですねえ・・・」
 と、言いながらジーノはフジバカマの花を三つほど折り取り、ハンカチに包んだ。
 土手の下には、幅約一メートル、水深四十センチほどの水路が二本並んでいて、水舟の水に負
けず劣らずの透明な水が、右手に向かって流れていた。

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