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水舟 (3)

 「水舟は日本文化の縮図だから、ジーノさんは詳しく知っておいた方がいいかも知れないと思って。
ここの水舟は三槽だけど、水舟には二槽のもあれば、シンプルな一槽のなんかもあるから誤解しな
いでね。それから、使い方の工夫も家によって様々だけど、この家の場合は、水が最初に落ちた槽が
飲み水や料理に使う水。真ん中の槽はこうして野菜やフルーツを浸けたり、飲み物を冷やしたりする。
そして三槽目は、野菜の下洗いとか軽い汚れの食器洗いだ。本当は三槽全てで一つの水槽なんだ
けど、三ヶ所に板のガイドになる溝が切ってあって、そこに差し込んだ三枚の仕切り板で仕切られて
いる。水が越えて行けるように、仕切り板の上の溝が少しずつ深くしてあるから、水はせき止められ

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るけど、次々乗り越えていけるというわけだ。さらに知恵が利いてるのが掃除の時・・・」
 「わかった!最後の槽の左側は、石じゃなくて仕切り板だから、仕切り板を三枚とも上に抜い
ちゃえば、全体が空になって一気に洗えるんだ・・・便利ですねえ」
 ジーノは聞きながら、コンパクトデジカメで水舟の写真を撮った。
 「でもそれだけじゃない、最後の槽から落下した続きを良く見てよ」
 落下した水は足元で直径およそ五十センチ、深さ二十センチほどの平たい木桶(おけ)に、一たん
受け止められ、その桶の後にこぼれて、巾二十センチ足らずの狭い側溝に流れ込んでいた。
 「この浅い桶は、ただの水受けじゃないんだよ。泥の付いた長靴や道具なんかを洗うのに、と
っても都合がいいんだ。だから、この水舟は四槽の水舟というわけさ。そして、その後の側溝に
落ちた水は、ほらあそこ・・・玄関の手前まで流れて行ってから、その池に流れ込んでる」
 「ああ、この池の水は、この水舟の水だったんですね・・・」
 「そう、だけど水は、またこちらに戻ってくる。池に微妙な傾斜が付いてるから、ほら、直ぐそこの
生垣の陰に、仕切り板が隠れていて、あそこから流れ出して家の裏手に向かうんだ。池尻の
仕切り板も上に抜くことが出来るから、それを抜けば池の掃除も簡単・・・見方によっては池まで
含めて全部が一つの水舟ともいえるかな」
 「すごいですねえ・・・この水舟や池は、安曇野を凝縮したオブジェみたいなものですねえ」
 「安曇野を凝縮か・・・うん、そういえば似てるよね。池から出た先の水路には、玉石や炭が
入れてあって、水草も生えてるから、水は浄化されて出て行くけど、池には魚がいるから洗剤な
んかは使えない。そうした微妙な関係まで含めて、似ているかも知れない」


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 「・・・これは、神様ですかあ?」
 水口の上に祀られている「水神」と彫られた、小さな自然石をジーノが指差した。
 「それは水の神様、水神様ですよ。私なんかがここに嫁いで来るよりずっと前から、この家の
井戸端に祀られていたものだけど、井戸は危ないからって埋めたもんでね、その時ここにお祀り
したんですよ」
 池に弾かれた陽光が、水神様の上の軒下に揺らいでいる。
 しばらく見つめていたジーノが言った。
 「水神様の後ろに山が見えるような気がしますねえ。山や森が・・・ああ、解かった、ここの
水神様と、水舟と、池と、浄化用の水路と・・・これは、アルプスも含めた松本盆地の凝縮なん
ですねえ」
 「・・・あなた、突然変異のイタリア人だよね」 晃が横目を送りながら言った。
 池の中央には、長さ二メートル程の太い流木が横たわっていた。下を幾つかの石で支えられ、
灰白色の体の半身程は水上にさらしている。
 流木の上には、いつの間に飛んできたのか一羽のセグロセキレイが、白黒のスマートな姿を見
せていた。いつもと違う顔ぶれに興味があるのか、二人の方に好奇の視線を向けている。水面に
小さな波紋を見せていた羽虫にマスが飛びつき、飛沫を上げると、驚いたセグロセキレイは一目
散に逃げていった。

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