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水舟 (2)

 東屋に入ったジーノは、水音に包まれて驚いた。
 音の方に目をやると、左手に石で作った横長の水槽があり、勢い良く水を落下させていた。
 「それは・・・何ですかあ??」
 「それは水舟だよ。水槽に流した地下水を幾つかに仕切って使う、昔からの生活の知恵ってと
ころかな」
 ジーノが水舟の前に行き、興味津々で眺め回している。
 その石の水槽は板で三つに仕切られていて、右から一番槽、二番槽、三番槽と決められている。
水口は右の一番槽の上に、加工された石で短い樋が設けられていて、先ず樋から一番槽に落下し
た水は、仕切り板を乗り越えて二番、三番へと次々移動し、三番槽の左側の側板を越えると、左


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下に一気に落下している。
 一番槽と三番槽は水で満たされているだけだが、二番槽には淡い黄緑色のブドウが数房と、生
ビールの大きな缶や、白ワインか酒らしきものの入った瓶が数本浸かっていた。
 水舟の背後には木製の簡単な棚があり、ザルや食器から包丁までのっている。
 「きれいな水ですねえ・・・飲めるんですかあ?」
 「もちろん飲めるさ。美味しい水だよ、飲んでみるかい」
 晃は水舟の縁に置いてあった柄杓を、一番槽の中で左右に泳がせて清めると、樋から落ちてい
る水を受け、ジーノの方へ差し出した。
 「美味しいですねえ・・・やわらかい水ですねえ・・・」
 ジーノは目を瞑ったまま、もう一口含んだ。
 「西オバ、水舟が気に入ったみたいだから、一服はそこでいいよ。荷物だけ縁側に置いてこよ
うか、ジーノさん、こっち来て」
 晃は東屋に置かれた木製のテーブルを指差してから、表の縁側の方に向かって、さっさと行っ
てしまった。
 「いいのかねえ・・・上がっても、もらわなくて」
 と呟きながら、ハルは水舟の後ろの棚に載せてあったグラスとザルを水にくぐらせた。
 ハルがザルに盛ったナイアガラブドウと、冷えた麦茶をテーブルに置くと、荷物を置いた二人
が戻ってきた。
 「さあ、一服して下さい。朝早くからで、さぞかしお疲れでしょうに」


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 「ジーノさん。これはナイアガラっていうブドウだけど傷みやすいんで、あまり市場に出ない
んだ。香りの良いブドウなんだが、噛むと種の近くが酸っぱいから、俺は噛まずに飲み込んじゃ
うけど、お好みで食べてみて」  晃が勧めた。
 「・・・ほんとだ。噛むのと噛まないので、ずいぶんイメージが変わりますねえ。香りもいい
です、独特の香りですねえ」
 「うん、俺はこの香りをかぐと、キノコ採りとか、スガレ取りとか思い出すなあ。おやつには、
よくこのブドウを持って行ったから」
 「スガレって何ですかあ?」
 「スガレってのは蜂のことで、地面に穴を掘って巣を掛けるクロスズメバチっていう小さな地
蜂のことさ。餌を抱えて飛んで行く蜂の後を追い掛けて、巣を突き止めるんだよ」
 「突き止めて、どうするんですかあ?」
 「取って食べるんだよ。身体は小さいが大きな巣を作るから、いい巣に当ると、中にこんなの
が五段とか六段とか入ってて、そこに詰まっている蜂の子を食べるんだが、これが美味いんだよ。
蜂の子飯にしたりもするが、俺の好きなのは乾煎(からい)り、油は使わずに塩だけでね。酒と合う
んだこれが。でも、いくらジーノさんでも、あの味は解かるかなあ・・・味って言うより風景だもの、
香ばしい秋の里山だね」
 と、大げさに、身振り手振りで解説した晃が、急に小声になって続けた。
 「それにねえ・・・あっちの方に利いちゃうから困るんだよ、これが・・・」
 晃は意味ありげな顔で、右の拳を少し上げて見せた。


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 「ほ、ほんとですかあ・・・私もスガレ取り、行きたいですねえ」
 ジーノも、さらに小さな声で言った。
 「こらっ、ここに女性がいるのに、お前たちは何の話をしてるんだい。若いのに、そんなもの
に頼るなんて情けないよ。それに、晃のなんか、こんなちっこい蜂の子みたいな時から知ってる
からね、かっこつけたって駄目だよ。ま、あれからいくら成長したとしても、せいぜいお蚕様(かいこ
さま)のサナギがいいところじゃないか」 
 と、横からハルがからかった。
「見くびっちゃいけない、今じゃモスラのサナギだよ・・・ジーノさん、ちょっと来てみて」
「い、いいですよ・・・見せなくても」
「違うよ、水舟の続きだよ」
立ち上がった晃が、再びジーノを水舟の前に誘った。

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