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水舟 (1)

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 山から下りた晃の車は、犀川、高瀬川と次々に川を越えて、穂高川を渡ったところで右折し、
水田の間を行く田んぼ道に入った。
 「本当に川が沢山あるんですねえ。この川が全て犀川橋に向かって行くんですかあ」
 「そう、一つ残らずね」
 そう言っている間に、また一つ小振りの川を渡った。
 さほど深くは無いが、水草がゆったりと揺れる透明な川だ。
 川を越えた先の辻では、左手に小さな道祖神が二基並び、四人の神様がこちらを見ていた。
 水田地帯の中に田んぼ道は続き、所々に民家が点在し始めた。等々力(とどりき)の集落だ。
 その家は右手の稲田の向こうにあった。壁を漆喰(しっくい)で白く塗られた土蔵が手前にあり、
妻壁をこちらに見せている。その左奥には母屋らしき横長の平屋の屋根も見える。
 「さあ、到着だ。叔父の家だけど俺の実家みたいなもんだから、お気楽にね」
 晃の車は慎重に右折して私道に入った。
 細い道は稲田を分けて、土蔵の右手に向かって延びている。
 「田んぼ道が、この家のアプローチなんですねえ・・・」
 「田んぼ道がアプローチで、田んぼが前庭さ。季節ごとに変化して、なかなかいいよ」
 ジーノの目が好奇心で輝いている。


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 土蔵の壁は下部が白黒のなまこ壁で、妻壁上部に白黒で印された右三つ巴の紋章とともに、白
と黒のコントラストが美しい。
 土蔵の脇には、壁に向けて白い軽トラックが斜めに止めてあった。その手前に晃も同様にして
止めた。どうやらそこは土蔵の裏手らしい。
 「お疲れ様。渓流シューズ以外は、いったん全部降ろそうか」
 車を降りた二人はザックを背負い、紙袋を提げて母屋に向かった。
 土蔵の先を左に回り込むと空き地になっていた。締まった地面を茶褐色の数羽の鶏がつついて
いる。二人が庭に踏み入ると、鶏はクァクァクァクァクァと鳴きながら速足で逃げていった。
 庭の向こうに栗(くり)の木が二本並んでいた。栗はすでに実りの季節を迎え、弾けたイガから
艶やかな実を覗かせている。
 母屋は栗の木の左手にあり、切妻屋根の横長の平屋で、見るからに日本の家なのだが、右側面
は妻壁より、けらば(屋根端)の方が二間(約三、六メートル)程も出ていて、柱に支えられており、
その下に部屋一つ分ほどの屋根付の空間を作っている。ここは作業場兼多目的スペースで、この
家ではそこを東屋(あずまや)と呼んでいる。
 二人がその東屋に入ろうとすると背後で女性の声がした。
 「晃っ、よく来たなあ。えらい久し振りじゃないか」
 その声に振り返ると、姉(あね)さん被(かぶ)りをした初老の女性が土蔵の中から出て来た。叔母の
泉ハルだ。
 「ちっともけえってこないで、駄目じゃないか。まあ、元気そうだからいいけど・・・こんにちは、
こちらさんはイタリアの人だってねえ。まあ、よくこんな田舎まで、おいでなんしたねえ(来てくれ
ましたね)」


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 「どうもこんにちは。私、ジーノと申しますです」
 「おーやまあ、言葉、分かるだね。こんな田舎じゃ退屈するでしょうけど、ま、ゆっくりして
いって下さいね」
 「俺の叔母で、泉ハル。今はお袋みたいな人だけどね」
 「みたいな人だけ余計だよ。ジーノさん、ここがこのバカ息子の家だからね。気兼ねしないで、
ゆっくり遊んでいってくださいね」
 「あ、ありがとうございまーす」
 晃が腰をかがめ、ハルの手や袖の辺りの匂いをかいだ。
 「西オバ・・・何か、うまそうな匂いがするぞ」
 「いま、醤油(しょうゆ)桶(おけ)ん中、かき回していたからだよ」
 「その匂いかいだら、腹すいちゃったなあ」
 「何か作ってやろうか?」
 「いや、先にワサビ畑に行ってくるからいいよ。はい、お土産、恵子が色々入れてくれたけど、
誰かさんの好きなタルトタタンは二台入れたって言ってたよ」
 晃が白い紙袋を二つ差し出した。
 「やーっ!タルトタタンかい、嬉しいねえ。恵子さのタルトタタン食べなきゃ、秋になった
気がしないものね。以心伝心だねえ」
 「何が以心伝心だよ。自分で山ほどの紅玉を送ってよこして。ところで西オジは?」


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 「文さはワサビ畑へ行ってるよ。イタリアの人に見られるのに、草はやしといたんじゃ恥ずか
しいから、土手の草でも刈ってるんだろ、ビーバー持って行ったから」
 「あのー、これ、召し上がってくださーい。イタリアのワインと山羊のチーズでーす」
 ジーノが生成りの紙袋を差し出した。
 「すいませんねえ、こんな、お土産までいただいて。それじゃあ、有り難く頂戴しますね。さあ
さあ、先ずは一休みして下さい」
 二人はハルに促がされて東屋に入った。

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