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早苗の秘密(6)

 洋子の母親が一枚の便箋に書かれた遺書を見せてくれた。
 それは誰に宛てて書いたとも知れない遺書だった。


 やっと辿り着けたはずの目標が、どこかに行ってしまいました。
 この桜が咲くまでには見付けてやるんだと思って、頑張ってきたけど、
 見付かりませんでした。
 この会社にとって私の存在は意味があるのか無いのか。
 私は何のために生まれて来て、何のために生きているのか。
 私は何がしたいのか。
 いくら考えても、いくら頑張って働いても見付かりません。


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 もう考えることにも働くことにも疲れました。
 ゆっくり眠りたいです。
 この元気いっぱいに咲いた桜と、二度とないほど澄んだ青空の下で。
 今はそれだけが、私のしたいことです。
 

 翌々日の水曜日も早苗は学校に行かず、午前十時から行われた洋子の告別式に参列した。
 そして、その日を境に早苗は学校から戻ると自室に篭るようになった。

 「・・・ただ、いずれにしても、頭ごなしに否定したりしない方がいいな。取り返しの付かな
いことになったら大変だから」
 「私もそう思うの。これまで問題無さ過ぎたくらい心配掛けなかったあの子が、こんなに変わ
ってしまうなんて、きっとあの子の中で余程のことが起こったんだわ」
 晃は無意識にグラスを傾けたが、液体はすでに無く、カチャッと氷だけが上唇に触れた。
 すると今度は昨日の朝「行ってきまーす」と言って振り返った幼い息子、光(ひかる)の顔が鮮明に思
い出された。晃は昨夜も帰宅が遅く、それも今朝と言った方がいいような午前三時近くだったので、
その時の光が晃の見た最新の息子の表情だった。晃はその記憶の中の画像を出来るだけ
丹念に思い出しながら、その表情を改めて感じ取ってみた。
 「そういえば最近、光も元気無いんじゃないか?」


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 「本当?・・・山崎先生の話だと、学校では明るくて活発にしているみたいよ。家に帰って来
てからは・・・ゲーム漬けか。いたって明るい子だから気にしてなかったけれど、明日からは注
意して見るわね。あーあ、こんな状態で、これからも頑張れるかしら。それにお店を持ったら、
もっと忙しい生活になりそうだし。若い頃には、そうなっても平気だって思えていたけど・・・」
 「二年後かあ・・・光もまだ十歳ってことだよな」
 「さんざん苦労して、走りに走り続けて、ようやく辿り着いた夢の扉。開けてみたら地獄だっ
たなんてことに・・・あなた、私たちって、今が本当に考えどころじゃないかしら」
 「・・・・・」
 「あなた・・・お店開くの、やっぱり安曇野にしようよ」
 「えっ!こっちでやるって、決めていたじゃないか。それに、田舎に生活を移すとなると、俺
の仕事はどうするんだい?・・・仕事は激減だよ」
 振り向いた晃の目は大きく見開かれ、小刻みにゆれる瞳が彼の狼狽の程を物語っている。

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