早苗の秘密(5)
翌日の日曜の午後、あの屋上庭園で満開の桜の下、ベンチに掛けて洋子は睡眠薬を飲んだ。
最初に異変に気付いたのは南雲老人だった。南雲は休日だったが、たまたま満開の桜が見たくな
り屋上にやって来た。すると、すっかり顔馴染みの洋子がベンチでグッタリしている。様子がお
かしい。近づいて声を掛けたが反応が無い。肩を揺すると、上半身がグニャッと崩れてベンチに
横たわった。驚いた南雲が手首の脈を確かめると、腕にはまだ温もりがあるものの脈はすでに無
かった。うろたえた南雲が、よろめきながら人を呼びに行った。
一人ベンチに横たわった洋子に、薄紅色の桜の花びらが、ひらひらと舞い降りた。
昨日掛かってきた洋子の電話に、何か気に掛かるものを感じていた早苗は、バイトから帰る道
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すがら洋子の携帯に掛けた。不通だったため、続けて洋子の自宅に掛けると母親が出た。そして、
早苗は洋子の死を告げられた。洋子の遺体は、まだ警察から戻って来ないとのことだった。
翌朝、早苗は学校に行く振りをして洋子の家に向かった。チャイムを鳴らすと洋子の母親が迎
え入れてくれた。玄関には沢山の履物が並んでいる。洋子の安置されている奥の部屋へと向かっ
たが、途中、ドアの半開きになっている居間の中に大勢の人が居るのが見えた。
洋子は奥の部屋で布団に寝かされ待っていた。ゆっくり近づいた早苗は、遺体の前に置かれた
座布団に正座しようとしたが、膝が震えて思うように座れず、両腕を支えにして辛うじて正座し
た。洋子の顔を隠している白布を母親が外した。顔をそむけようとする自分を押し戻すようにし
て、洋子の横顔を直視した。頼りになる姉のように思い、慕っていた友人の死に顔は、早苗が生
まれて初めて目にする、人間の死に顔だった。
胸の中で膨らみ、突き上げてくる悲しみに翻弄されていながら、洋子の髪の生え際、眉、まつ
毛と、視線を移しながら細部を監察してしまう自分の目に早苗はとまどった。そして、かすかな
産毛まで確かめると、その遺体が間違い無く洋子であることを早苗は受け入れた。同時に、突き
上げていた感情が一気に破裂して、早苗は泣き崩れた。脳裏に生前の洋子の表情や声が次々に浮
かんでは消えた。
この人の様になりたいと思い憧れていたのに、頼りになる姉のように思っていたのに、自殺な
んて言葉とは無縁の強い意志を持っていたのに、突然、自分から死んでしまうなんて・・・。
一昨日の夜、洋子と電話で交わしたやりとりが耳の奥から聞こえてきた。
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交わした言葉の一言一言に自殺の予告が滲み出していたように思われ、早苗は鳥肌だった。
自分が会ってあげていれば、こんなことにならなかったのか・・・。
それとも電話を掛けてくる前から決めていて、死ぬ前に会っておこうと思ったのか・・・。
顔を上げた早苗は涙の向こうに洋子の顔を見たが、洋子の横顔からは何も感じ取ることが出来
なかった。