早苗の秘密(1)
時を少し遡った前年の七月下旬、七蔵物産の社員食堂。
早苗が漆山洋子と並んで昼の定食を食べていた。
「すいません。お昼代払わせちゃって」
「なに言ってるの学生のくせに。こっちこそ突然呼び出してごめんね。なんだか急に会いたく
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なっちゃって。ところで、どう、勉強の方は順調にいってる」
「うん、順調ですよ。目標に向かって快調に走ってます。中学時代に恐ろしいコーチについた
お陰ですね」
「そう、それは良かった。恐ろしいコーチによろしく言っておくわ」
「ただ、時々思うんですけど、こういう大きな会社に入って私に何が出来るのかなあって・・・
入れても役に立てなかったらどうしようって、ちょっぴり不安で」
「相変らずね。さっちゃんは」
ショートカットの髪が良く似合った、色白で端整な顔に笑みを浮かべて洋子が言った。
「・・・・・」
「いったん集中すればすごい実力があるくせに、その気になるまでにっていうか、納得するま
でに時間が掛かる。男性的な性格なのかな、先の先まで考えたがるのは」
「それに引き換え、洋子さんの決断の速さと実行力には、いつも敬服してます。相変わらず完
璧主義が過ぎるけど」
「あら、しばらく会わない間に随分言うようになったじゃない。私ってそんなに完璧主義かし
ら。自分じゃぜんぜんそんな風に思えないけど」
「うそーっ、洋子さんが違うとしたら、世の中に一人もいないことになっちゃいますよ。私ず
っと前から思ってましたもん、よくあんな風に自分に厳しく出来るなあって」
「そうかなあ・・・確かにさっちゃんの入試を引き受けた時は、ちょっぴり厳しくやり過ぎた
かも知れないけど」
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「ううん、私にじゃなくて自分に。私が結果出せなかった時なんか、本人より洋子さんの方が
深刻に悩むから、こりゃヤバイって思いましたよ。とにかく結果出さなきゃって」
「・・・まあいいじゃない。お陰で楽勝で入れたんだから。さっちゃんとのことは、私の自慢
の思い出なんだよ。そりゃ勿論さっちゃんのお味噌が良かったのは認めるけど、私のコーチン
グもなかなかだったでしょ」
「もちろん、名コーチでしたよ。鬼が付くけど」
「でしょ。だからちょっとめげてても、あの頃を思い出すと何か元気になれるんだ。私も捨て
たもんじゃない、少しは価値があるんだってね」
「少しはなんてとんでもない。いったん取り組んだら必ず結果を出すっていう、私、そういう
洋子さんに憧れて勉強したんですよ。洋子さん、以前、うちの母から『あなたの目標は?』っ
て聞かれた時、二つ返事で『一流企業で通用する人間になります』って言い切ったけど、かっ
こ良かったなあ。覚えてます?」
「・・・うん、覚えてるよ」
「でも、こんな大きな会社の中で結果出すのって難しいんじゃないですか?私なんかから見た
ら、別の世界のことみたいで見当つかないなあ・・・」
「確かにね・・・一生懸命やっても、それが会社の役に立っているのか、いないのか、まだ実
感が無いのが淋しいかな。とは言っても入社四ヶ月じゃね」
と言って洋子は笑ってみせたが、その少し憂いのある横顔が、早苗には羨ましくなるほど美し
く見えた。