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イタリア男 (3)

 「ところで、彼の受け売りだけど、スローフード運動には、もっと大事な目的があるってのを
知ってるかい?」
 「なに?その目的って?」
 「関係の修復、だって」
 「関係の修復?」
 「うん、今の社会が抱えている色々な関係のゆがみや、傷の修復」
 「色んな関係か・・・夫婦の関係、親子、ゆがんで傷ついてる家族は多いわね」
 「家族ばかりじゃなくて生産者と消費者とか、自然と人間とかね。そういったゆがんだ関係を、
食の見直しをきっかけに、持続可能な関係に修復しようってことだな」


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 「・・・・・」
 「んー、平たく言っちゃえば、食事のために、もっと時間や心を使いなさいっていうことさ。
心のこもった食事を、大切な人たちと一緒に楽しく味わう、というところから色々な関係を見
つめ直すことなんだって」
 「なるほどね・・・そうすると、うちなんか最悪ね。あなたが子供達と一緒に夕食のテーブル
囲むなんて、ほとんど無いものね」
 「藪蛇になっちゃったけど・・・ほんと、最悪だな。かといって、代理店やクライアントに俺
のスケジュールに合わせてほしい、なんて言えるはずないし」

 この男の名前は泉(いずみ)晃(あきら)、四十歳でフリーのスチールライフ・フォトグラファー
(商品撮影専門のカメラマン)だ。
 一方、妻の恵子、四十歳。フレンチレストランで長年、料理人として働いている。
 共働きの二人の間には、高三の娘と、小三の息子がいる。

 「目標に向かって頑張っているって言えば聞こえはいいけど、生活は全員が、もうずーとバラ
バラだもの」
 「夢を実現するために、頑張ってきたんだろ」
 「夢か・・・ところであなた、早苗のことだけど」
 「学校には行っているみたいだけど、帰ってからは相変わらず部屋篭(ごも)りかい?」
 「ええ、相変わらず・・・でも、今朝、話しかけたら珍しく答えてくれたわ」
 「そうか、で、何か言ってたか?」


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 「それが言いづらいんだけど・・・あの子ったら進学するの止めるって言うのよ」
 「えっ!進学しないのかっ?」
 「ええ、いい大学を出て、いい会社に就職するっていう目標が、嫌になったって言うのよ。自
分で違う目標を見付けたいからって。春以来、ずっと考えて決めたことだから、何も言わずに
認めてほしいって言うの」
 「急にそんなことを言ったって、今までずっと頑張って、後一息まで来ていたのに勿体ないじ
ゃないか。この調子なら入試は楽勝だって、自分で喜んでいたくせに。それに、その為にどれ
だけ長い間努力してきたのか、その重さを一番知っている早苗自身が、おかしいじゃないか」
 「しかも、この気持ちは何があっても絶対に変わらないから、誰かに説得させようなんて思わ
ないでって、念まで押されちゃったわ。やっぱり、この引き篭もりは、あの子にとって相当大
きな心の一大事があったのよ」
 「一体何があったんだ・・・努力する前ならともかく、いったいどれだけ貴重なものを捨てよ
うとしているのか、分かっているのかなあ。二年までは、あんなに生き生きとやっていたのに、
三年になった途端に人が変わったみたいに」
 「実は、そのことで心当たりがあるんだけど・・・もっと確かめてから話すつもりでいたけど、
気になって仕方がないから全部話してしまうわね」
 「・・・・・」


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